今日からは、扇が谷のお寺の紹介です。
まずは、今大路と武蔵大路の交点辺りにある壽福寺(じゅふくじ)。
まずは、今大路と武蔵大路の交点辺りにある壽福寺(じゅふくじ)。
ここは、日本で最初の禅寺です。
源氏山を背にしたこの地は、以前は頼朝の父、義朝の居館があったところ。
平治の乱の後、岡崎義実が義朝を弔う為に一堂を建立していて、
頼朝は、ここに父の追福の為に寺を建てようとしていたのですが、
果たす事が出来ずに死去しました。
源氏山を背にしたこの地は、以前は頼朝の父、義朝の居館があったところ。
平治の乱の後、岡崎義実が義朝を弔う為に一堂を建立していて、
頼朝は、ここに父の追福の為に寺を建てようとしていたのですが、
果たす事が出来ずに死去しました。
頼朝の死後、1199年に禅僧・栄西が、鎌倉にやって来ます。
臨済宗を宋で学び、その新宗教を日本に伝えようとした栄西は、
当初、京で布教活動をしようと試みました。
しかし、京では、既成宗教が、根を張っていて受け入れられない。
そこで、栄西は、考えます。
新宗教の布教は、まず時の権力者に取り入れられなければと。
臨済宗を宋で学び、その新宗教を日本に伝えようとした栄西は、
当初、京で布教活動をしようと試みました。
しかし、京では、既成宗教が、根を張っていて受け入れられない。
そこで、栄西は、考えます。
新宗教の布教は、まず時の権力者に取り入れられなければと。
この頃、政子は、病弱な実朝(当時8歳)に悩んでいました。
これを知った栄西、持参の喫茶養生記を献じ、宋で学んだお茶を勧めました。
実朝は、この養生法でめきめきと健康になり政子に取り入られる事に成功します。
これを知った栄西、持参の喫茶養生記を献じ、宋で学んだお茶を勧めました。
実朝は、この養生法でめきめきと健康になり政子に取り入られる事に成功します。
*写真は、すべて壽福寺のすぐ傍からのスナップです。