稲瀬川(いなのせかわ)は、
長谷観音辺りから
由比ヶ浜に注ぐ
500m程の小さな川です。
源頼朝軍は、
1180年10月7日に
源氏累代の地である
鎌倉に入ります。
そして12月には、
鶴岡八幡宮の北東一帯に
大倉の御所をを完成させ
311人もの御家人を従え御所入り
頼朝は、鎌倉殿となります。
源頼朝が鎌倉入りした頃は、
稲瀬川の西側には
霊仙山などの山々が
立ちはだかり
海岸線も満潮になれば
稲村ケ崎で塞がれたので
稲瀬川が流れる
長谷のこの写真の辺りが
鎌倉の西の境になっていました。
1180年10月、
北条政子が秋戸郷を出て
初めて鎌倉入りする時にも
占い(くじ引き)で出た
良き日柄に鎌倉に入るために
鎌倉の境界である
この辺りの民家に数日間滞在して
日取りを調整したそうです。
また頼朝が
1184年に弟の源範頼(のりより)が
平家を討つため出発するのを
ここで見送ったり
1185年に父の源義朝(よしとも)の
遺骨を出迎えたのも
鎌倉の西の境であるこの川辺です。