2021-09-01から1ヶ月間の記事一覧
時々、石川町駅から大丸谷坂を登り 山手の山からみなとみらい方面を望む。 新しい建物が次々に現れ 横浜スタジアムが見えなくなり ヨコハマグランド インターコンチネンタルホテルも見えなくなり ランドマークタワーは、半分身を隠し 横浜らしい景観が失われ…
素朴な商店街で 可愛らしいハロウィン装飾を見かけると 心が和みます。
シーサイドラインも 夕照橋も なくてはならない生活路
大岡川界隈の植物、 今では桜や柳などの 人の手によって植えられた木々ばかり その中で 自然の力で育つ薄を見つけ 活力を感じました。
この撮影地に着くまでの道中、 眼下の東海道線に小さな踏切があって そこで野生の猿に遭遇しました。 早川や片浦地区、真鶴までの 東海道線に沿って 行動している日本猿の群れは、 60年以上前に 観光資源として餌付けされたのが始まり。 1970年代に餌…
義経ゆかりの寺、満福寺が 世情に疎いおバカな義経を 悲劇のヒーローのように扱う擁護には、 ちょっと辟易としてしまいます。 頼朝は、 後白河法皇の院宣によって木曽義仲の追討、 次いで平家討伐の戦をする事になり 二軍を編成したのだけど、 それらの戦の…
江ノ電線路端の彼岸花の開花が まだ5割から8割だった4日後 満開の彼岸花を期待して再訪。 しかし驚いたことに お目当ての場所の彼岸花は、 干からびていました。 まだ数日後だったというのに・・・ 台風14号のせい?? 彼岸花は諦め 鎌倉高校前駅と腰越…
普段は、 門前での江ノ電撮影に終始する龍口寺、 お彼岸の時期は、境内も覘くのが常。 このお寺は、 知る人ぞ知る彼岸花の名所 沢山の白や赤の彼岸花が 境内のあちらこちらに咲いています。 300形が来るまでの間、 この寺の彼岸花を撮影して 時間をつぶし…
石上といえば、 かっては 沢山の赤い彼岸花と合わせて 江ノ電が撮れることで 知られた撮影地でしたが、 今では、 江ノ電と絡めるのが難しくなりました。
夏の草が枯れたのと入れ替わりに 彼岸花が顔を出しました。
この彼岸花群生地には、 10年以上通っていますが、 畑の奥の木々が成長し 列車を隠すようになってしまいました。
畑に沿う道に立ち 彼岸花を入れた構図を考えていたら ラッキーなことに 畑の持ち主である佐藤さんが 畑仕事に現れました。 佐藤さんや佐藤さんの奥さんとは、 数年前から 顔なじみになっていたので この日も 畑に入っていいよとお声掛け下さりました。 お陰…
新田義貞、鎌倉攻めの際、 霊仙山で防衛線を敷く 北条軍と睨み合いをしていたのが陣鐘山。 この陣鐘山の南端は、 江ノ電 稲村ガ崎駅のすぐ近く もちろんあの小高い山に 新田軍の総勢が展開出来るわけもなく 新田義貞が最初に本陣を構えた 音無川上流の聖福寺…
中世には 49の塔頭・子院を備えていた極楽寺 私が立っているこの撮影地、 霊仙山の頂にも 仏法寺という寺があり 写真に写されている谷戸は、 江戸時代に稲村ケ崎小学校の奥、 西ケ谷に移されるまで 月影地蔵があった場所で 月影が谷といいます。 この谷戸…
鎌倉の彼岸花が咲きそろうのは、 今週末あたりとの情報は得ていたけれど 週末は、雨予想。 地元の彼岸花は、 場所によっては開花していることだし 江ノ電沿線だって 全く咲いていないわけじゃないだろうから 撮影に行ける時に行っておこうと思い 昨日、出掛…
地元の紅葉の先陣を切ったのは、 ハナミズキでした。
本日の東急3000系甲種輸送は、大道トンネルの山の大船側中腹から撮影しようと思い出掛けました。 本郷台駅から歩いて約15分、現地に着いて愕然、夏草が茂っていて山登りが出来ない。それでも草をかき分けて進みどうにか線路が見える場所を見つけます。…
藤沢駅南口のオークスモール通りには、 10本以上の クスノキの大木が連なっています。 このクスノキが植わっている場所は、 江ノ電が地上を走っていた頃の跡地です。
龍口寺門前、 片瀬竜の口商店街の 呉服店、蒲団店、洋品店などの店先の 片側式アーケードが撤去されてから はや8年が経ちます。 そのすぐそばの扇屋さんや 喫茶店どるの アーケードは残っているものの 見上げてみればボロボロ なくなる日は近いかもしれない…
まだ9月上旬だというのに 街にはハロウィン装飾があふれていて ハロウィンって 9月末だったっけと錯覚してしまう。
柳小路駅近くで 街路樹となっているサルスベリを撮り込んで 江ノ電撮影をしていました。 しかし、 陽が射していたのはここまで 曇り空に覆われて さえない写真しか撮れなくなってしまったので 江ノ電撮影を中止して 旧江の島道を散策することにします。 藤沢…
自宅近くのサルスベリ、 だいぶ疲れた色合いをしていました。 そのサルスベリを見て そういえば、 今年は鵠沼のサルスベリを撮っていないな 今日あたりが艶を帯びて留まっている ギリギリの日かなと思い柳小路へ やはり盛りを過ぎて 色褪せていたものの 人の…
JR根岸線の港南台と本郷台の間は、 武蔵国と相模国の 国境があったところで 根岸線の中でも最も山間の区間 この写真の場所は、鍛冶ヶ谷 その地名が示すとおり、 かっては鉄を鍛えて農具や武具を造る 職人達の住居が多数あった谷戸。 附近には、飛鳥時代から …
由比ガ浜の線路端のお宅の塀 なんか気になる扉でした。
夏の日中は、 部屋から 夏の太陽光線を見ただけでゾッとします。 飲料補給が頻繁になり ラーメン一杯分くらいの お金を飲料に使うのも馬鹿らしくて 外出する気持ちになれない。 コロナ禍の世間にも 自分にも都合の良い ステイホーム期間でした。 しかし、か…
サルスベリの花言葉は、「雄弁」長く伸びた枝先に群がって咲く花の風にゆれる姿が、盛んに話をしているように見えるからというのが、その由来。こちらのサルスベリ早口で喋っていました。
蝉の音は、 晩夏の声に代わった。 けれど サルスベリの賑やかさを見る度 夏はまだまだ盛んに思える。
降り続いていた雨も甲種輸送列車が地元を走り抜ける正午には、傘を持たずとも気にならない霧雨に変わり撮影に行くことにしました。公開広場の木々の色を見て秋が来ているなと感じます。
今日は、 日本政府がポツダム宣言の 降伏文書に調印した日 当時7歳、隣には4歳の弟 上野駅地下道で ヤミ市の残飯をあさり 下痢を繰り返しながら暮らした。 公的支援などないに等しい 極度の窮乏期 通行人は 寝ている子を蹴飛ばし歩く 浮浪児なんて野良犬と…
かって野島は、陸続きでした。 しかし夏島が軍事基地として埋め立てが進められ野島と接近 平潟湾の出口が失われたためここに野島水路(野島運河)が造られます。