EF210 石垣山から俯瞰

石垣山一夜城
歴史好きとしては一度は訪ねてみたい場所
ランチをした早川沿いの食事処から
石垣山一夜城歴史公園まで2300mの近さと知り
立ち寄ってから帰ることにします。

山の上から新幹線や
東海道線も撮ってみたかったしね。

山城といっても
当時68歳だった千利休
淀君ら側室なども招けるってことは
登りも大したことないだろう
30分も歩けば
城跡に着くかなと思っていたら
甘かった

いつ終わるか予想できない
キツイ勾配が続く

「がんばれ、がんばれオレ」

膝を痛めている自分、
これ登ったら帰りの下りの方が辛いよなとか
ここまで高い山からだと
新幹線や東海道線の列車を撮っても
豆粒だよなとか
何かしら理由を付けて下山したくなります。

しかし
ここまで来て諦めたら
今度ドラマや映画で小田原攻めを見た時
絶対に後悔するぞと自分に言い聞かせ
登っていきます。

写真は、山の中腹の道から撮影
ちょうど東海道線
箱根登山鉄道が分離する辺りを走る
1097レ

小田原の街と
その向こうの相模湾を見渡せる
ここからの景色は絶景だったけど
150mmで撮っても
海を撮り込むとEF210も豆粒で
鉄道写真じゃなくなっていたので
ここでは大トリミングして載せましょう。

石垣山一夜城歴史公園到着

公園駐車場には
スイーツで世界的にも有名な
パティシエ・鎧塚俊彦さんが開業した
『一夜城ヨロイヅカ・ファーム』目当ての
車が平日にもかかわらずいっぱい

ちなみに鎧塚俊彦さんは、
胆管がんで亡くなった
女優・川島なお美さんの旦那さん

石垣山一夜城歴史公園の二の丸跡からは、
小田原城が見下ろせました。

この風景から街の建物を消して
小田原城だけにしたら
秀吉と家康の連れしょんの時に見た
風景になるんだろうななどと思いながら
眺めていました。

頑張って登ってきた甲斐はあったけど
石垣山一夜城歴史公園、
歩いて来るには辛すぎた。

EF210  早川橋梁

ロマンスカー撮影後は
早川を渡る新幹線を撮りたいと思い
早川の右岸、一夜城通りを
河口に向けて歩きます。

残念ながら新幹線は、
防音壁に包まれ撮影出来ず

そこで
東海道線早川橋梁の近くの土手で
5075レを待つことにします。

早川のこの辺は、
3月1日から5月31日まで
ヤマメ・ニジマス
CRエリアになっているそうで
平日にもかかわらず
多くの人が釣りを楽しんでいました。

撮影場所の近く早川沿いに
「お食事処 ラーメン」との看板が
店内入り口の上に掲げられた
気になるお店を発見。

入ってみます。

年季の入った店内
懐古趣味の作られた「レトロ」ではなく
放置され飾り気のない「レトロ」な空間。


小上がりとカウンター席の店内は、
もとはお寿司屋さんか
小料理・居酒屋だったような造りだな。

ラーメンを注文しようと思っていたけど
店名を冠した「味よしラーメン」に惹かれ
その中辛を注文。

配膳された丼の大きさにびっくり!!

メンマにタケノコ、
豚肉・キクラゲ・ピーマンが入った
ピリ辛のラーメン。

量が多いので
食べきれるか不安になったけど
美味しかったのでスープも
最後の一滴まで飲み干します。

おなかが満たされると
もう少し歩けそうな気分になったので
一夜城に寄ってみることにしました。

ロマンスカー・EXEα(30000形) 早川

先月、ガイドさんと一緒に
小田原駅の東側の小田原宿を歩きましたが
今月は、小田原駅の西側を巡ります。

二度の小田原探索で総構の構築をした
北条氏のブレーンの凄さに感嘆しました。

板橋地蔵尊でガイドさんと別れた後は
せっかくここまで来たのだからと
早川に沿って歩きロマンスカー撮影。

EF210 関内~石川町

高校生の頃、
岡林信康のレコードを持っていて
山谷ブルースもよく聴いていた。

この写真の奥の場所は、
大阪の釜ヶ崎と東京の山谷に並ぶ
「三大寄せ場」の一つ寿町

横浜の写真を撮り続けているのだから
寿町も見ておこう
チャンスがあれば
こっそり写真も撮ってみたいと思い
寿町~松影町を歩いたことがあった。

結局、
カメラを取り出す勇気はなかったけれど

寿町で入った
カウンター5席のラーメン屋では
一番奥の席に昼間から
日本酒で出来上がっている男性が・・・

横浜市寿町健康福祉交流センター周辺では
多くの男性が談笑しながら日向ぼっこしていた。

寿町、
現在は、ドヤで暮らす人の8~9割が、
生活保護の受給者となっていて
住人の生活介助を行う施設も増え
労働者の街から福祉の街に変わったそうです。

こういうところに
横浜市の財源が
より一層、回せるように
「二重行政」をはじめとした
事業仕分けはもちろんの事
「庁内報」のような
印刷代やら配送料のかかるものを
ペーパーレスのみにしたりして無駄をなくし
驚くほど種類が多くて支給金額も多い
職員さんの諸手当も一般企業並みにして
貧困対策や福祉に使う財源を増やしてほしいな。

岡林信康の歌の世界、
50年以上たった今も変わらない。

JR根岸線 横浜中華街

私と妻と次女夫婦とで中華街ランチ

私一人の時は、いわゆる大衆店で
ラーメン・チャーハン+点心とザーサイ
+杏仁豆腐のセットが常なんだけど
家族で食事をする時は
それほど頻繁ではないので
中華街の高級店と言われるお店を選びます。

この日に予約したお店は、
創業1955年、上海料理の老舗「状元樓」

上質を重視したという
4800円のランチコース料理を
予約していました。

フカヒレ姿入りまろやか茶碗蒸し
抜群の美味しさ

コース料理の他に追加で注文した
マーボー豆腐の土鍋煮込み
口に入れた瞬間は、
刺激的な辛さに「おっ!」となるけれど
一呼吸置くと
コクのある辛さであることがわかる。
そして「甘さ」の余韻が残る麻婆豆腐
これまた絶品!!

20代と50代以上を対象とし
それぞれが横浜中華街に対する
イメージの違いや
興味のあるものを知るための
アンケート調査があった。

食の項目では
20代は食べ歩きや
食べ放題を楽しむ場所であると認識
一方50代以上は
豪華中華料理を楽しむ場所と認識

若い世代から支持されなくなった
高級店ほど苦戦していて
聘珍樓は閉店するし同撥別館は休業

高級店の料理ってやっぱ凄いやと
高級店を利用するたび思います。

そして、
その違いを若い人にも知って欲しい。

本物を提供してくれる高級店、
頑張って欲しいな。

 

 

 

 

 

 

JR根岸線 掘割川河口付近

吉田新田を開拓した
吉田勘兵衛の子孫や横浜商人らによって
1874年に完成した運河、掘割川

明治時代の掘割川には
外国人居留地にあった
ヘルム・ブラザーズ商会の
木造船の造船所が
掘割川右岸、坂下橋と磯子橋の間にあり
現在もその水門跡が残っています。
掘割川の造船所というと
今は、河口のこの写真の辺りに
曳船やバージなど港内業務船の造船所
河野造船所(シーサイド造船所)があります。

またその並びの右岸の川辺には、
1886年に当時の横浜在留の
外国人有志により設立された
日本最古のヨットクラブ、
横浜ヨット協会のクラブハウスがあり
収容能力:33艇のヤードや
長さ25mのポンツーン、
クレーンなどを備えています。

掘割川河口は、船宿も多かった場所
この写真のそばには、
磯子根岸つり船センター」があり
今でも田村丸、根岸丸、
上杉丸という船宿もあります。

そして写真の左側、
掘割川左岸は、
1903年に建てられた日本最古の動物検疫所
全国の動物検疫所の本部として
海外から入る動物の感染症・害虫などの
検査を行っています。

かって掘割川の川沿いは
桜の名所だったそうですが
今では、この動物検疫所の敷地内に
多くの桜があり桜が開花する時期は、
根岸線の車中から楽しめます。

EF651103 魚籃観音と雨の早川駅

早川駅の側線に停まっているEF65に出会い
撮り鉄の性でしょうか
予定を変更してでもここで降りなきゃと
心の奥底にいるもう一人の自分に急かされるように
早川駅のホームに飛び降りました。

早川駅のホームに降り立つのは初めての事
根府川駅真鶴駅と同じ西湘の空気感があります。

電車で早川駅を通過するたび気になっていた
早川駅すぐそばに建つ大きな観音様

それが今、EF65と一緒に撮れる位置にいる
それだけでワクワクしてしまいます。

ホームの先端で
この1103号機を撮影していた
重装備の撮り鉄君が
慌てて上り電車に乗り込んだ。

もしかしてこの次の上り列車が来る前に
このEF651103号機、
早川を発ってしまうのかな?

不安は的中
しばらくして静かなモーター音が
わずかな振動と共に放たれ
小さな汽笛を残し動き出します。

別の場所からも
このEF65の走行中の姿を
撮りたかったなと思いながら
雨のホームから見送りました。