江ノ電 腰越・甲州屋酒店

腰越商店街に店を構える甲州屋酒店
旦那さんが亡くなってからは、
土曜日と日曜日だけお店を開け
贔屓にして下さっている
お客さんから依頼を受けたお酒を
取り寄せ販売してると言います。

この時も、
どぶろく
鹿児島の焼酎メーカーで
造ってもらっている
甲州屋さん特注の
ムラサキマサリの焼酎
KAMAKURA腰越」を
常連のお客さんが買いに来ていました。

また江ノ島電鉄
こちらのお店で樽酒を買っているそうです。

こちらの甲州屋酒店、
山梨から腰越に移り住んだ青木さんが
100年近く前に創業したお店

もともとは、
□(カタ、四角)の中に〆の字が屋号の
腰越町 囲い〆 の支店として
店を開いています。

店のシャッターは、
その当時のものだとか

腰越は、漁師町ゆえ昔から酒屋も多く
つい数十年前までは、
腰越商店街に
9軒もの酒屋さんがありました。

甲州屋酒店も
酒屋兼立ち飲み処として
店内の中央には
長いテーブルもあったそうで
そのテーブルを挟んで
お客さんとやり取りした様子を
身振り手振りで
奥様が紹介してくださいました。

店の奥には、
つけでお酒を買ったり呑んだりした人用の
大福帳が置かれています。

そのほかにも店内には、
お店や腰越の歴史を感じさせる
品や絵、写真などがあり
それらをもっとPRしたお店にしたら
腰越商店街の活性化にも
つながるのになと思いました。

奥様に色々なお話を伺ったので
そのままお店を後にするのも申し訳なく
撮影行中の飲料でも買おうと思ったけれど
目につく品は、お酒ばかり
お酒のつまみににもなりそうな
揚げもちアーモンドというお菓子を見つけ
それを買って店をでます。

 



江ノ電 谷間の額紫陽花

ここは、
新田義貞が鎌倉攻めをした際、
北条軍が防衛線を敷く霊仙山と
新田義貞が陣を敷く陣鐘山との谷境

1333年5月、大館宗氏の戦死で
一度は片瀬まで退いた新田軍主力は、
極楽寺川を挟んで西側に位置する陣鐘山に布陣し
霊山を防御する北条軍に相対します。
 
そこに新田義貞が駆けつけ
音無川に沿った
聖福寺ヶ谷の聖福寺に本陣を構えます。
 
そして、霊山の岬を廻って
前浜に突入を決行する折には、
陣鐘山に多数の松明を灯し
陣太鼓や鐘を打ち鳴らし続け
最後の鎌倉防衛拠点として霊山を守る
大仏貞直北条軍の目を陣鐘山に釘付けにし
北条軍を錯乱させました。

 

江ノ電 阿仏尼邸址石碑脇のガクアジサイ

極楽寺の月影ヶ谷に
十六夜日記の作者として知られる
阿佛尼が住んでいました。

その住居にほど近い所の
江ノ電踏切脇に
阿佛邸旧跡石碑が建っています。

この写真は、
その石碑脇からの撮影です。

鎌倉時代のこの辺り一帯、
非人と呼ばれる乞食が大勢いたり
極楽寺の忍性が救済していた
疫病患者(ハンセン病患者)が
多く住んでいた場所

平安時代以来の歌学の宗家である
藤原定家の子、
為家の後妻という身分の阿仏尼が
なぜそのような地に住んだのだろう?

 

結局、阿仏尼は、1年程でこの地を去り

親しい人の居た比企が谷、

さらには亀ケ谷(現在の扇ヶ谷あたり)に

住まいを移したそうです。

江ノ電 長谷駅の紫陽花

長谷では修学旅行中と思しき
沢山の生徒さんのグループと
すれ違いました。

私の中学校の時の修学旅行先は、京都

学校に戻ってから
修学旅行で学んだことというテーマで
レポートを書かされて
龍安寺枯山水の庭に対して
「作為的」
「こじつけ」などの感想を書いたら
「ちゃんと勉強すること」と
赤ペンで書かれて
戻ってきたことを思い出す。

その時の
それなら修学旅行に行く前に
枯山水庭園の
世界観くらい教えといてよという気持ち
今でも忘れない。