江ノ電305 稲瀬川辺り

f:id:soft_machine:20201004111507j:plain

源頼朝軍は、

1180年10月7日に

源氏累代の地である鎌倉に入ります。

そして12月には、

鶴岡八幡宮の北東一帯に

大倉の御所をを完成させ

311人もの御家人を従え御所入り

頼朝は、鎌倉殿となります。

その頃の鎌倉の西の境が

稲村ヶ崎

霊仙山をはじめとする山々に阻まれ

稲瀬川が流れる

長谷のこの写真の辺り

 

1180年、

北条政子が秋戸郷を出て

鎌倉入りする時にも

日の調整の為に

鎌倉の境界である

この辺りの民家に滞在したそうです。