鶴見線画像展示場

JR鶴見線 無人駅

今の時期、花粉によって目が痒かったりチカチカするってあるけれど私が小学生だったころは夏になると鶴見や川崎の工場が出す大気汚染物質で目がチカチカしたな 横浜南部の小学校に通っていたけれど校庭から鶴見方面の空を見るともやがかかっていたのを今でも…

JR鶴見線 鶴見人

ここ浅野駅に近い地区には多くの南米からの移民が暮らします 彼ら彼女らは、苗字は『具志堅』『新垣』『大城』のような沖縄の名前で日本人にしか見えない人も多い ブラジルから来た女性が言っていたブラジルにいた時、私外国人だったね。「日本人、日本人」…

JR鶴見線 デマ

ここ浅野駅から歩いて10分程の潮田町3丁目に東漸寺というお寺があり関東大震災時に鶴見署長を務めた大川常吉氏への感謝が刻まれた石碑があります 関東大震災では、常日頃から新聞が偏見を与えるメッセージを載せていたこともあり「鶴見・川崎の朝鮮人が暴…

JR鶴見線 鶴見川のこっち側

私が小学生の頃、妹がピアノを習っていた先生が鶴見区の東寺尾に引っ越されて母と妹と三人で横浜南部から鶴見まで通った 当時の私には、鶴見=近寄りがたい場所 首都圏以外の人が横浜=みなとみらい地区をイメージするのと同じステレオタイプを持っていた 実…

JR鶴見線 鶴見駅4番線ホームの壁時計

鶴見駅4番線ホームの壁時計 金ジョンス 今日もありがとうの気持ちを刻みながら時計は回っている吹きすさぶ雪や雨に打たれながらも50年を一日の如く回り続けている 関東大震災朝鮮人虐殺の生き地獄の中で救いの手を差し伸べてくれた日本の方々その恩情を刻み…

JR鶴見線 在日米海軍鶴見貯油施設

浅野駅のこの先、旭運河の向こう側にあるのが在日米軍の中でも最も大きい貯油施設である在日米海軍鶴見貯油施設 米軍横田基地の航空機用の燃料を貯油していて浅野駅のお隣、安善駅から貨物列車で青梅線拝島駅までジェット燃料を運んでいてまた青森の三沢基地…

JR鶴見線 門型鉄塔送電線

ここ鶴見区は、横浜市内で2番目に外国人人口が多いエリアその中でも南米国籍の人は外国籍の人達の約40%を占めています この撮影地、浅野駅の近く仲通商店街には南米タウンがあり店舗数は減っちゃったけどいまでも南米料理を提供するお店や食品を扱う店舗が…

JR鶴見線 浅野駅3・4番線

鶴見線といえば一部の工場への通勤に特化した路線と言うイメージ 実際、通勤時間帯は1時間に11本もの列車が運行されている しかし日中は、1時間に3本まで減りここ浅野駅では鶴見駅に出るのに2番線と4番線が使われ列車の発番線を間違えると次に来る列車…

JR鶴見線 多文化共生

横浜市鶴見区、世界的経済危機いわゆるリーマン・ショックの影響で解雇され失職したり東日本大震災の原発事故を機に帰国した人も多いけれど現在も鶴見区の人口の6%16~17人に1人が外国籍の方 ここ浅野駅に近い横浜市立潮田中学校は、全校生徒の約3割…

JR鶴見線 鶴見区臨海部

横浜市の中で在住外国人の人数が18370人(2025年12月末現在)と中区に次いで多い鶴見区 京浜工業地帯で働くために朝鮮半島や沖縄から移り住んだ人や国策として南米に移住した日本人の子孫が鶴見に住む沖縄の親戚を頼り来日するなど多くの人々が鶴見区に集ま…

JR鶴見線 沖縄タウン

ここ浅野駅のそばには、「沖縄タウン」があります 京浜工業地帯の川崎市や鶴見は、労働力確保の為貧困地域だった沖縄の人の移住を積極的に促しました その人数、鶴見だけで約3万人 しかし待ち受けていたのは今では考えられない様な高度成長期の「きつい・汚…

JR鶴見線 浅野駅界隈

鶴見線が走る地域は、かって多摩川と鶴見川のデルタ地帯 大正の初め頃は、淋しい農漁村でヨシの生い茂った低湿地帯でした 日本のセメント業のパイオニアで浅野財閥を築いた浅野総一郎(浅野駅の駅名の由来となった人物)は、浅野セメント会社の工場新設の必要…

JR鶴見線 浅野駅

細い路地に建つくすんだ色の家のひしゃげた牛乳箱だったり地方の商店街の店先に何十年も佇むマネキンだったり手の入っていないまるで放置されたかのような、でもしっかりと現役のモノ そういうものになぜか魅かれる 鶴見線 浅野駅の存在ってそれに似てる気が…

JR鶴見線 国道駅

横浜市鶴見区鶴見中央5丁目26 私がこの駅を撮り始めた頃は衣料・雑貨店「フリーウェイ」や多くのお店が営業していたけれど今や国道駅の「臨港デパート」という商店街はベニヤ板が張り巡らされた廃墟 それでも駅だけは生き残り帰宅する人これから出勤する…

JR鶴見線 旭運河

鶴見線沿線の中でも浅野駅を中心とした地域は入船公園という家族で憩える大きなスポーツ公園があったり週末ともなれば大勢の人が訪れる海芝浦駅が近くにあったりして工場地帯特有の息苦しさがない。 それは周辺にある企業の環境整備の努力もさることながら周…

JR鶴見線 市境

鶴見区の北部臨海部など街の雰囲気も川崎のイメージに似ているので横浜南部に住んでいる人からみると川崎市鶴見区と勘違いしてしまう。(殴) 横浜市と川崎市の境は鶴見川と思っている人が結構いる 鶴見川という、うってつけの自然環境があるのに市境はそれ…

JR鶴見線 運河

武蔵白石・扇町方面に向かう電車は浅野駅を出るとすぐに大きな川を渡ります。 それが旭運河 この旭運河、かっては私が立っている末広橋の後方入船橋辺りから上流は、鶴見区平安町1丁目、川崎市京町1丁目辺りまで川崎運河という運河になっていたらしい 埋め…

JR鶴見線 雨の浅野駅界隈

JR鶴見線浅野駅がある場所は鶴見区末広町町名の末広の名は、鶴見埋立組合創業者の浅野総一郎の家紋から採られています。 この地は、1916年に浅野造船所(現在のジャパン マリンユナイテッドの横浜事業所鶴見工場)と旭硝子(現在のAGC)、1917年に浅野合資会…

JR鶴見線 造船所

浅野駅前から海芝浦方面を見ると鶴見線海芝浦支線沿いの旭運河に造船用のクレーンが目に入りその大きさと色が気になり近寄ってみます。 途中、「鶴見造船所前」というバスの停留所があったので鶴見造船所で検索 日本鋼管 鶴見造船所と出てきてその歴史を見て…

JR鶴見線 浅野駅 3・4番線

浅野駅は、海芝浦支線の分岐駅。 3面4線の駅で鶴見線のなかでは最も多くのホームがある駅です。 鶴見線本線からカーブしながら別れ海芝浦支線に入っていくのだけどそのカーブ上に海芝浦支線のホームがあり車両とホームの間の隙間がすごく広い。 高齢者は電車…

JR鶴見線 浅野駅前

構内との境がないような浅野駅の外に出たところの道に(株)東芝私有地 路上喫煙禁止と描かれていました。 海芝浦駅は、改札口が東芝の出入り口にもなっていて関係者しか改札を通れないことは知られているけれど浅野駅から海芝浦までの道も公道ではなく東芝…

JR鶴見線 浅野駅界隈

横浜市鶴見区および川崎市の東海道線以東においてはこの駅の名にもなった浅野総一郎により埋立てが行なわれて以来多くの工場が進出し1955年頃からは日本の経済・高度成長を牽引した地域として華々しく語られています。 しかしその一方で浅野セメント(株…

JR鶴見線 鶴見駅4番線ホームの壁時計

鶴見駅4番線ホームの壁時計 金ジョンス 今日もありがとうの気持ちを刻みながら時計は回っている吹きすさぶ雪や雨に打たれながらも50年を一日の如く回り続けている 関東大震災朝鮮人虐殺の生き地獄の中で救いの手を差し伸べてくれた日本の方々その恩情を刻み…

JR鶴見線 浅野駅

後に京浜工業地帯となる横浜市鶴見区と川崎市の沿岸を埋め立てた浅野総一郎の名が由来の浅野駅 この駅からソーキそばを食べるため横浜・沖縄タウン(沖鶴地区)に向かいます。 具志堅用高がゲスト出演したテレビ番組で語った話 チャンピオンになって沖縄に凱…

JR鶴見線 鶴見駅

高度経済成長期、鶴見線の乗車率は300%越えその頃の鶴見線の話を鶴見川を眺めていた男性から聞いたことがあった。 ドアや窓から身を乗り出して乗ってる人もいたよ 窓に手をつく人の圧力で窓ガラスがよく割れてたな

JR鶴見線 鶴見駅4番線ホームの壁時計

鶴見駅4番線ホームの壁時計 金ジョンス 今日もありがとうの気持ちを刻みながら時計は回っている吹きすさぶ雪や雨に打たれながらも50年を一日の如く回り続けている 関東大震災朝鮮人虐殺の生き地獄の中で救いの手を差し伸べてくれた日本の方々その恩情を刻み…

鶴見線 横浜 沖鶴地区

鶴見線と鶴見川にはさまれた場所は、横浜 沖鶴地区と呼ばれています。 鶴見には、この街に来た沖縄出身者に対する壮絶な差別の歴史がありました。 「沖縄人お断り」の貼り紙を出す店もあり沖縄人に対する差別は目に見えて存在したのです。 川崎市や鶴見は、…

鶴見線 浜川崎駅

工業地帯ど真ん中にある鶴見線の無人駅、浜川崎駅 ホームの向こう側は日本鋼管と川崎製鉄が統合してできたJFEスチールの東日本製鉄所(京浜地区) 駅構内の跨線橋には、JFEの渡田西門に下りる専用出口もあるけれど「国際船舶・港湾保安法」が適用される重要…

鶴見線 国道駅

国道駅の通路で最後まで残っていた店、「やきとり 国道下」コロナ禍に入った頃から休んでいてこのまま閉店なんてことにならなきゃいいなと気になっていたけれど閉店の貼り紙が掲げられたよと聞かされたのが昨年の9月だった。 それ以降、国道駅に立ち寄るこ…

JR鶴見線 浜川崎駅

浜川崎駅に掲げられた「危険です やめましょう!!線路内に入らない~」の看板 それを見て50年前ここ浜川崎でED16の目の前まで行って写真を撮ったことを思い出した。 それが許される(?)時代だった。