相鉄線画像展示場
ここは、私が結婚した時から2003年まで17年間暮らした街。(途中、函館や知多に住んでいた期間があったので実際には、11年間かな。) かって私達家族が暮らしたマンションは、12月には外壁全体にイルミネーション4月下旬からは沢山の鯉のぼりが泳ぎ住…
卒業後、単身アメリカに渡った大学時代の女友達から連絡があり日帰り温泉+昼呑みを提案されます。 彼女は今、日本に戻り二俣川で暮らしているので温泉は、そこから近い横濱スパヒルズ竜泉寺の湯に行くことにしました。 広い温泉露天風呂は、ナトリウム — 塩…
私が選んだ2023年 横浜5大ニュース 1位は、やっぱり相鉄・東急直通線開業でしょ!!こんな時代が来るんだとビックリ!! 2位は、横浜ノースドックに小型揚陸艇部隊が配備 従来の説明と違い「保管場所」から「部隊拠点」に変更になり残念 3位は、「ポ…
50年前の今日11月20日、横浜駅名品街跡地に相鉄ジョイナスが開業 当時は、おしゃれというわけでなく高級感もなく雑多な専門店の寄せ集めの商業施設でした。 まるで地方の百貨店のよう 関東の大手私鉄に挙げられながら当時はローカル鉄道会社のような存…
横浜と聞いて真っ先に頭に浮かぶ場所は? 横浜駅西口 横浜駅東口 横浜駅西口と東口を合わせた横浜駅周辺 いわゆる「みなとみらい」地区 横浜スタジアムや馬車道、伊勢佐木町のある関内地区 山下公園や中華街のある山下町 私にとって横浜と聞いて横浜の文字を…
私が幼かった頃、買い物で横浜に連れていかれると必ず横浜高島屋の屋上遊園地で遊ばせてもらった。 金魚屋さんのある場所を抜けると屋上に出ることが出来目の前には、遊園地が広がっていた。 遊園地で遊んだ後は、高島屋の広々とした空間の食堂でお子様ラン…
西口の地下街の呼び名は、「ダイヤモンド地下街」 「ザ・ダイヤモンド」と改称されても「ジョイナス ザ・ダイヤモンド」になっても浜っ子にとっては「ダイヤモンド地下街」で通っていた そのダイヤモンドという名が「相鉄ジョイナス」に統合され西口から消え…
天王町は、私が結婚した時から17年間暮らした街。(途中、函館や知多に住んでいた期間があったので実際には、11年間かな。) かって私達家族が暮らした天王町スカイハイツ こどもの日を前に沢山のこいのぼりが泳ぐのでこの時期には、ここに住んでいた時から…
自宅最寄り駅からだと横浜に出るより藤沢に出た方が電車賃が安くそのため藤沢のビックカメラを利用していた時期がありました。 その時のポイントが中途半端に73ポイント残ってる。 それを限りなくゼロに近付けたいと思い横浜に出たついでに西口のビックカメ…
冷たいけれど澄んだ空気に真っ青な空 遠望が利くと思ったのでランドマークタワーが望める相鉄線沿線の高台へ
のぼり旗が風になびいて列車が来たタイミングに限ってそっぽを向かれ次こそはで撮った1枚 後追いだけど
昔は、ジョイナス(ジョイナスの専門店街)というと野暮ったいテナントが多くてワクワク気分で店内を廻れる高島屋からジョイナスに足を踏み入れると現実に引き戻されたような気分になった。 最近は、高級感を纏うようになったけど
幸橋から私の横に並んだカモメ達と一緒に横浜駅に出入りする相鉄の列車を眺めていました。
開港当時、開港場から東海道へ抜ける主要道路として野毛山を切り通しにし石崎(現敷島橋)から芝生(現浅間下)まで一直線に土手を築き「よこはま道」が造られた。この辺りは浮世絵にも描かれています。
先日、幸川や帷子川でカモメが舞っているのを見たので相鉄とカモメの写真を撮りに行きます。
五番街に集う人達、 同じ西口でも高島屋より北側の人達と「人種」が違う 東口やみなとみらい地区の「人種」とも違い野毛や伊勢佐木町界隈の「人種」とも違います。 私には何となく落ち着かない地区
相鉄の街南幸2丁目って横浜のリトル歌舞伎町に思えます。
かっては横浜地場産業の横浜捺染の染物の水洗いの色でカラフルに染まっていた帷子川 今は、冬の光に染まっていました。
今年も残すところ今日を含めてあと六日月日の流れ、はやいなぁ~○○がついこの間のように感じる 「チコちゃんに叱られる!」で大人になるとあっという間に1年が過ぎるのはなぜ?という設問があって チコちゃんの答えは、「人生にトキメキがなくなったから」 …
一年で最も昼の時間が短かった昨日午後4時過ぎには、この日、最後の陽の光が横浜駅界隈を照らしました。 薄暗くなると濃紺のYNB(YOKOHAMA NAVYBLUE)塗装は車両が周辺の色に沈んでしまい写真にするのが難しいなぁ この写真のように前照灯の光のない後追い…
横浜西口五番街、ヨドバシカメラが三越の建物に移る前は、頻繁に行っていた場所。 当時、五番街にあった「古城」「田園」「白樺」などの純喫茶の店なんとなく大人じゃなければ入ってはいけないように思えた。 今も残る創業1970年の横浜珈琲店には、ひっ…
帷子川の鯉のぼり 暴れまくって思い通りの場所に 留まってくれなかったり 風の気まぐれで ふくよかな姿を見せてくれなかったり
平沼辺りは、帷子川下流地帯の新田のうち江戸時代の最後に開かれた埋立地 1858年6月の日米修好通商条約調印によって開国に踏み切った幕府、神奈川の開港を翌年6月と定めます。 でも横浜の街づくりは、 開港3ヶ月前の3月になって、やっと工事が始まるという状…
平沼橋(ひらぬまばし)は、 横浜市西区に架かる 新横浜通りのアーチ橋 帷子川と、川の右岸(南東側)に沿う JR東海道線・横須賀線・ 相鉄本線の線路を跨いでいます。 この辺りは、 19世紀の天保年間に 程ヶ谷宿の豪商 平沼家と岡野家が 大規模な埋め立て…
相鉄線大和駅、 30年前、地上駅だったこの駅を 相鉄線から小田急線への乗換駅として 数年間使いました。 当時は、相鉄線大和駅と 小田急線大和駅が離れていて 連絡通路が長く感じました。
この写真の後方には、 507ヘクタールにも及ぶ広大な 厚木海軍飛行場があります。 そして約2400メートルの 南北に延びる滑走路は、 目と鼻の先に敷かれていて その東側に位置するこの場所は、 運が良ければ軍用機と相鉄線が 一緒に写せる場所でもあり…
この撮影地の目と鼻の先に 厚木海軍飛行場 いわゆる厚木基地があります。 上空を2機の軍用ヘリコプターが 上昇、下降を繰り返し旋回してる 梅雨空の低い雲に その爆音が反射し 近付いてくる 微かな電車のモーター音を 消してしまうものだから 列車の接近が分…
大和駅近くの家系ラーメン店で 食事する為に途中下車 食後に相鉄線でも撮影して 帰ろうと思っていましたが 大和駅周辺の相鉄線は地下に潜ってる。 駅前にあった駅周辺案内板を見ると ふれあいの森入り口と言う場所で 列車は、地上に上がってくるようだ。 1…
天王町は、私が結婚した時から17年間暮らした街。(途中、函館や知多に住んでいた期間があったので実際には、11年間かな。) かって私達家族が暮らした天王町スカイハイツ クリスマスの頃は、毎年趣向を凝らした美しく大きなイルミネーションが、5月には、…
以前、私たち家族が暮らしたマンションを訪ねた。 この鯉のぼり達は、当時の生活の一部だった。