JR横須賀線 太田道灌

扇が谷の線路端で横須賀線撮影後、
英勝寺に行きました。

この地に住んでいた
武蔵守護代
扇谷上杉家の家宰(筆頭家老)である
太田道灌の屋敷跡に創建されたお寺です。 

私の長女が住む伊勢原
毎年、道灌まつりが開催されることもあり
太田道灌は親しみ深い人物

扇谷上杉家は当初小さな勢力でしたが
道灌の活躍により鎌倉公方を補佐する
関東管領山内上杉家
匹敵する程の力を持ちます。

おもしろくない山内上杉顕定は扇谷上杉定正
「道灌が謀反を企んでいるようだ」と讒言

定正も家宰に過ぎない道灌が
主人の自分よりも活躍し台頭したことを
妬ましく思っていたので
伊勢原市にある上杉定正の館で
風呂に入っているところを襲い殺します。

この謀殺劇でニンマリしたのは、
讒言した山内上杉顕定。

翌年、太田道灌という
優秀なブレーンを失った扇谷上杉家を攻めます。

その後、両上杉家は長享の乱を勃発させ
泥沼の抗争を繰り広げ決着がつかず
両家共に衰退の一途を辿りました。

結局、越後の長尾景虎管領職と
上杉姓を譲らざるを得なくなり
上杉謙信の誕生。

そして北条早雲はその間隙をついて関東に入り
関東を手に入れてしまいます。

伊勢原上杉定正の刺客に殺される瞬間
太田道灌は「当方滅亡」と叫んだとか。

これは、私が死ねば
扇谷上杉家も滅亡するだろうという意味。

その通りになってしまいました。