江ノ電 極楽寺界隈

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極楽寺界隈の史跡や歴史にまつわる場所は、
すべて訪れているけれど
それは、6~7年前。
 
かって訪れた場所が、
そのままの状態なのか
周辺に変化がないか確認したかったので
再訪してみます。
時間にも余裕があったしね。
 
極楽寺切通しの崖の上の石仏群を見た後は、
上杉憲方のお墓に行ってみます。
 
坂ノ下方面から極楽寺切通しを抜けたところ
江ノ電の線路に架かる赤い桜橋の手前、
左手のアパートの路地を入った所に上杉憲方の逆修塔があります。
(逆修塔とは、生前に死後の冥福を祈って建立したお墓の事。)
 
古い石塔が並ぶアパートの裏山の崖下は、まさに異空間。
遠い昔に引き込まれます。
 
安山岩製の七層塔には、
塔身に四方仏があります。
それは、鎌倉時代末期の型である証拠。
国の重要美術品に指定されているこの塔、
硬い岩なので形は原型のまま残っています。
 
上杉憲方という人は、関東管領足利氏満に仕えた執事です。
 
上杉氏は、鎌倉幕府親王将軍宗尊親王に従って
鎌倉に下ってきた重房に始まります。
 
幕府滅亡後、
その孫である憲顕は、
鎌倉府の管領足利基氏に仕えて執事になり
山内に屋敷を構え山内上杉家の祖となります。
憲方は、その憲顕の子。
 
1379年(永和5年)、
憲方は、美濃の土岐頼康の叛乱討伐の命を受けて出陣。
 
三島に着いた時、
鎌倉府の足利氏満を補佐する管領に任じられました。
 
鎌倉に帰って山内上杉屋敷に入り
後に職を退いて出家し道合と称して
北鎌倉にある明月院を創建します。
 
1394年(応永元年)、
六十歳で死んだ憲方、
法名は、明月院殿天樹道合といいます。
 
この場所には、
七層塔の他に五層塔が一つと五輪塔が三つあります。
 
アパートの裏の崖の下の狭い空間に
なぜこんな立派な逆修塔や墓があるのかというと
ここには、かって極楽寺の塔中西方寺があったからなんです。
 
さて江ノ電俯瞰写真を撮りに行く前に
月影地蔵にも寄ってみようかな。