腰越は、鎌倉時代に刑場のあった地としても知られています。
頼朝は、なぜこの地を刑場に選んだのでしょう。
それは、「七里結界」と結びついているようです。
「七里結界」とは、
密教で魔性の侵入を防ぐ為に設けられた境界のこと。
七里四方にその境界を設けていました。
鶴岡八幡宮を基点にすると腰越まで七里。
裏鬼門(南西)に位置していたのです。
(鎌倉時代は、六町を一里としていました。)
つまり腰越は、頼朝にとって精神的な結界であり
その結界の外の竜口に刑場を設けたと考えられます。