腰越商店街のあるこの道は、
藤沢から鎌倉に入っていく古道で
昔から人家も多く
腰越宿になっていました。
1180年8月、
石橋山の合戦で大庭景親らは
頼朝の軍を破ります。
頼朝は、敗走して房総に逃れますが
僅か二ヶ月で再起すると
関東の武士の多くが頼朝に味方し
その数は数万になります。
慌てたのは、大庭景親。
景親は、僅かな兵を引き連れ
藤沢の大庭城を出て西走し
平家方に付こうとします。
足柄峠を越え鮎沢宿まで行くと
前方に甲州の武田勢二万が待ち伏せ
景親は、行く手を阻まれ
足柄山中に逃げ込みますが、
追いかけてきた
同族の梶原景時の勧めで降伏。
頼朝は、景親だけは許せないといって
この地、腰越の浜で斬首しています。
また、1189年には、
藤原泰衡から送られてきた義経の首が、
鎌倉入りしないよう
当時鎌倉の外だった
ここ腰越で梶原景時、
和田義盛らにより首実験されています。