江ノ電355 腰越電車通り

腰越商店街のあるこの道は、
藤沢から鎌倉に入っていく古道で
昔から人家も多く
腰越宿になっていました。

1180年8月、
石橋山の合戦で大庭景親らは
頼朝の軍を破ります。

頼朝は、敗走して房総に逃れますが
僅か二ヶ月で再起すると
関東の武士の多くが頼朝に味方し
その数は数万になります。

慌てたのは、大庭景親
景親は、僅かな兵を引き連れ
藤沢の大庭城を出て西走し
平家方に付こうとします。

足柄峠を越え鮎沢宿まで行くと
前方に甲州の武田勢二万が待ち伏せ

景親は、行く手を阻まれ
足柄山中に逃げ込みますが、
追いかけてきた
同族の梶原景時の勧めで降伏。

頼朝は、景親だけは許せないといって
この地、腰越の浜で斬首しています。

また、1189年には、
藤原泰衡から送られてきた義経の首が、
鎌倉入りしないよう
当時鎌倉の外だった
ここ腰越で梶原景時
和田義盛らにより首実験されています。