大船駅にて(EF66,EF210そして、鎌倉ハム)

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私の家の近く(と言っても車で10分程の所)に
日本で初めてのサンドイッチ駅弁に使われたハムを作っている
鎌倉ハム富岡商会」の本社・工場があります。
今日は、この日本人の手で初めて造られたハム「鎌倉ハム」のお話です。

1863年、開港間もない横浜にイギリス人のウィリアム・カーチスという人が
未開の地での成功を夢みてやって来きます。そして、山手に大規模な農園を造りました。
ここで栽培したものは、当時の日本では、手に入りにくかったトマト、キャベツ、カリフラワーなどの
西洋野菜。彼は、この農園で採れた野菜を居留地の外国人向けに販売し一財産つくります。
そのお金を元手に彼は、1874年、鎌倉郡川上村(現在の横浜市戸塚区の東戸塚辺り)に
白馬亭というホテルを開業し、その裏手に牧場をつくり家畜を育てました。
そしてそこに工場を造りハム、ベーコン、牛乳、バターの製造を始めます。
これが、日本で作られたハムの歴史の始まりです。
でも、このカーチスという人、ハム造りの独占を考えて
日本人には、その製法を秘密にし、日本人は工場に立ち入ることも許しませんでした。
そんな彼が日本人にハムの製法を伝授したのは、
1884年地震による工場の出火を村人が消し止めてくれた恩に報いる為だといわれています。
その後、カーチスは日本で得た財産を持って帰国。
その頃には、ここ鎌倉郡には、日本人のハム製造技術者達が育ち
ここで製造されたハムは、発祥の地名から「鎌倉ハム」と呼ばれ広まっていきます。
冷蔵庫などない時代、ここ戸塚、大船辺りは、山が多くてその山をくりぬいて洞窟をつくり
それを天然の冷蔵庫にして漬け込み作業などをしていたそうです。
その「鎌倉ハム」の製造技術者の一人に現在の「鎌倉ハム富岡商会」の創業者、富岡周蔵がいました。
この富岡周蔵こそ大船駅開業の10年後(1898年)に大船駅で駅弁を売り出した
大船軒」の創業者であり日本で初めてのサンドイッチ駅弁を編み出した人物です。
大船軒」については、またの機会に語ろうと思います。もちろん大船の鉄道写真を添えて。