京急1000形(鳥見塚)

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子供の頃、京急三浦半島のイメージを持っていた。
それは、日曜日の度に、この電車に乗って家族で三浦の山や海に出掛けていたからだと思う。
それだけに真っ赤な電車を見ると「もっと三浦半島の海を連想させる色にならないかなァ」なんて
いつも思っていた。
正直、この色、好きになれなかった。
しかし今、赤い車体に白帯一本、この塗装に愛着がある。
多感な時期を共に過ごした色。もうこの色に白帯ラインでないと京急と思えなくなってしまった。

ここは、富岡の名の由来となった鳥見塚附近。
昔、狩に来た者がここで白雉を捕らえた。白雉は、吉兆のしるしとされ領主に献上された。
その雉(きじ)が死んで、ここの丘に塚が築かれる。この鳥塚が転化して富岡と呼ばれるようになった。
(この話には、飛鳥時代650年頃、ここで捕えた白雉が朝廷に献上され、
めでたい白雉の発見を記念し朝廷は、年号を大化から白雉に改元した。という説も有りますが、
これは、現在の山口県、宍戸国の話にこじつけられていると思われます。)
また、ここのすぐ傍に約21.9万平方メートルに及ぶ富岡総合公園がある。
この公園、もとは、1936年10月1日に日本で最初に開設された飛行艇訓練基地。
(横浜には、日本で最初の○○っていうのが多いけど、軍用基地ならいらなかったな)
1945年9月2日、米海軍に接収され通信基地となり朝鮮戦争ベトナム戦争では、
富岡倉庫地区として使用される。
1971年2月、一部を残し返還され1975年3月に総合公園として開園した。