京急弘明寺附近

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昨日、20数年振りに瑞応山蓮華院弘明寺を訪れました。
弘明寺(ぐみょうじ)駅ホームに降り立つと沢山の身代り地蔵菩薩の旗がはためいています。
身代り地蔵尊弘明寺といえば、本尊の平安時代の作、木造十一面観音立像(国重要文化財)でしょ。
「身代り地蔵は、拝した記憶ないなァ。」と思いながらとにかく弘明寺の境内に足を踏み入れます。
山門をくぐり石段を登っていく左手にその身代り地蔵菩薩がありました。
「まだ新しいじゃん」と呟きながらこの身代り地蔵尊の由来を読むと、
京急が会社創業100年を期に2001年6月、弘明寺に奉納したとの事。
なるほど、それで京急の駅にこの地蔵をPRする旗が沢山はためいていたんだと納得。
京急弘明寺の関係は古く弘明寺駅のある場所は、もともと弘明寺の境内で共有墓地と松林でした。
当時の住職が寺と地域発展の為になるならと寺社造りの駅舎を造る事を条件に用地を売却提供。
そして生まれたのが1930年4月1日開業の弘明寺駅です。
その寺社造りの朱塗りに瓦の駅舎も1984年12月には橋上駅に改築され姿を消してしまいました。
あの駅舎が門前町として栄えた街の歴史も語っていたのに近代的な駅舎はちょっと興醒め。
せめて駅のどこかにあの提灯やホームにあった石塔を残して欲しかった。

瑞応山蓮華院弘明寺は、721年にインドの善無畏三蔵法師が日本渡来の折に開創した寺で
鎌倉時代には、源家累代の祈願所とされ、江戸時代には、坂東観音三十三ヵ所の第14番札所になり
年2回の市がたち賑わった横浜最古の寺です。

1枚目)かって弘明寺の境内だった弘明寺公園の下をくぐる省エネ車の先駆け800形。
このトンネルは、第6号トンネルと言い、ここから程近い場所に閑静な割烹温泉宿、
中里温泉があります。昔、一度、梅の時期にお世話になった事がありますが大人の時間をすごせました。
2枚目)弘明寺の参道といえば鎌倉街道からの観音通り(弘明寺商店街)が正面の参道ですが
この道も脇の参道でした。
3枚目)弘明寺駅ホームに進入した旧1000形。
戦時中、渇水期の電力節約の為、上大岡折り返しの運用を削減。
この場所にわたり線を設けて600V車が弘明寺の方向幕を掲げポイントで折り返していたそうです。
4~5枚目)1985年に完成した弘明寺駅の立体駐輪場から線路を見下ろすと行商のおばあさんが
線路端の道に野菜を並べていた。
6枚目)弘明寺山門。