相鉄本線 帷子川

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今日は、横浜五番街で家系ラーメンを食べた後、HMVに立ち寄り
プログレッシブ・ロックの掘り出し物はないかと物色。
帰途になにげなく帷子川を眺めると川面に美しく相鉄線の電車が映っていました。
ブログを始めてから外出時はいつもDiMAGE Z3を持ち歩いているのでさっそく撮影。
私は3歳まで相鉄線沿線に住み、25歳から17年間、相鉄線の電車が眼下を走る天王町~星川間の
マンションに住んでいたことがあり(途中、函館や知多に転勤があったから実際住んでいたのは、
延べ11年間かな)相鉄線は、馴染みのある路線。
にもかかわらず、今までこの路線の写真を当写真館に展示する事がなかったのですが、
前回、JR相模線の写真を展示したのをきっかけに「相模鉄道」つながりで載せる事にしました。
相鉄本線のルーツは、1917年12月2日に創立された「神中軌道」。後の「神中鉄道」です。
1926年5月12日、厚木~二俣川を非電化で開業。
一日7往復、蒸気機関車が木製の二輪オープンデッキ小型客車を牽いて走っていました。
1933年には、厚木~横浜間の計画全線が開通しましたが、1943年には、JR相模線の前身である
相模鉄道」に吸収合併され「神中鉄道」は、相模鉄道神中線となりました。
神中線は、合併2ヶ月後には横浜~西谷間が600Vで電化、
1944年に横浜~海老名間で電化が完了しています。
二俣川を境に横浜側が600V。海老名側が1500V)
しかし、1944年は戦時中であった為、本線(茅ヶ崎~橋本)が、東海道線と中央線との短縮ルートであり
沿線に軍事施設があったことで運輸通信省に戦時買収され国有化。
相模鉄道は、もともと「神中鉄道」だった神中線だけになってしまいました。

相鉄線の初回の記事は、相鉄の生い立ちを書きましたが、
徐々に相鉄沿線の歴史、由来などの記事を増やしていきたいと思っています。