10月23日 貨物列車、東海道旅客線迂回運転 その3

イメージ 1
 
横浜市内の東海道旅客線を貨物列車が走る度、
証拠写真のような‘横浜と一目で分かる’写真を載せていたけれど
それも撮りつくしたので、
この日は最も横浜らしくない場所に再び出掛けています。
えっ、これ本当に横浜市内の東海道線?っていうような感じの所(笑)。
1870年当初、東海道本線は、勾配のきつい権太坂を避けるために横浜(現桜木町駅附近)から
大岡川沿いに現在の京急日の出町から上大岡に至る地域を通り、日野村に出て日野坂を切り通しにし
岩瀬村(大船の隣村)に達する計画でした。
しかし、その後の周辺の地形調査により保土ヶ谷から先は、旧東海道から離れ、
帷子川支流の今井川に沿って線路を施設し武蔵、相模国境の山に出会ったところでトンネルを通す事が
最も勾配が少なく短いトンネルの貫通で済む事が分かり現在のルートに決定されました。
1887年、このルートが造られた事で初代横浜駅では、スイッチバックが必要となる弊害が生まれました。
線路脇には、このトンネルが現役最古の鉄道トンネルであることを示すプレートが
JR東日本によって備え付けられています。
要約すると、「1887年、工部省鉄道局により上り線のトンネルが貫通。
1898年、複線化工事に伴い下り線トンネル増設。         
両トンネルともレンガ造りだったが、1925年の電化工事によりコンクリート造りになる。」
清水谷戸トンネルの上りがnの形、下りが馬蹄形なのは、造られた時期が違ったからなのですね。