江ノ電 300形  七里ガ浜の行合川

江ノ電七里ヶ浜駅の脇に
合川という名の川が流れています。

水源は、田辺池とその周辺の湧き水
田辺池といえば
極楽寺の忍性と日蓮
雨乞いバトルが繰り広げられた地です。

また行合川の西岸を「金洗沢」と呼び、
砂鉄に雑じって砂金が採れたようです。

合川の川の名には、
龍ノ口法難に関わる
こんな由来があります。

1271年9月12日、
竜の口で日蓮の処刑が執り行われますが
日蓮が若い頃に師と仰ぎ
五代執権北条時頼の帰依を受け、
建長寺の開山となる
大覚禅師(蘭渓道隆)の
助命嘆願書が効を奏して斬首は一時中止

日蓮宗やその系統の新興宗教では、
斬首しようとした時に
太刀に落雷したとか
江ノ島の方より
満月のような光ものが飛び来たって
首斬り役人の目がくらみ
畏れおののき倒れ」斬首の刑は中止
というように伝承されています。

その後の対応を仰ぐため
使者が鎌倉に向けて早馬を飛ばします。
一方、時の執権時宗は、
この日、夫人の妊娠を知ります。

僧を殺せば七年祟るという。
日蓮処刑はやめて佐渡流罪に変更しようと
時宗も赦免の使者を向わせます。

両使者がここで行き合ったというので、
この川を行合川と言う様になりました。


また
鎌倉入りを許されなかった義経は、
一度、この行合川まで来て
当時は鎌倉の外とされていた
腰越に押し戻されています。