江ノ電 田辺ヶ池

イメージ 1
 
とうとう暑い暑い大嫌いな夏が始まってしまいました。
 
梅雨の雨が恋しくなってしまいます。
 
今日のような耐え難い暑い日には、
雨乞いの記事でも書こうかと思います。
 
6月上旬、「江ノ電と紫陽花」の写真撮影に出掛けた折に
七里ガ浜の雨乞いの池を再訪しています。
 
以前、その池を訪ねたのは、
横浜、鎌倉の史跡めぐりを頻繁にしていた2006年12月。
 
その頃は、干上がっていて葦や雑草の生い茂る窪地、
とても池と言えるような代物ではありませんでした。
 
それが、3年前に工事されて水をたたえる池として復活していたのです。
 
 
 
 
この池での伝説を2006年12月9日のこのブログで記事にしています。
 
以下、その日の私のブログ記事より抜粋です。
 
 
 
祈雨旧跡、田辺ヶ池でのお話です。

1271年は、猛烈な日照り続き。
そこで、鎌倉幕府の時の執権・北条時宗は、
信任厚く民衆からも大きな支持を受けていた
極楽寺の忍性に雨乞いを依頼します。
忍性は、6月18日からこの池畔に護摩壇を設けて
極楽寺、多宝寺の僧、百二十余人を動員して
7日間の祈祷をしますが、一滴の雨も降りません。
忍性は、更に7日間の延長を願い、二十七の祈雨修法を行います。
(忍性が、祈祷した場所は、霊山山という説もあり)

この時、今、売り出し中の日蓮
「もし7日の内に雨が降れば、これまでの主張を引き下げて忍性の弟子になろう。
もし降らねば法華経に帰依せよ!!」とか
「律僧は、まやかしの慈善事業をしている。
わしが祈れば雨が降る。」などと豪語します。

(実は、豪語したものの本当に雨を降らせられるか不安で
長勝寺の僧に内心を打ち明けている記述を何かで読んだことがあります。)

忍性は、とうとう一滴の雨も降らすことが出来ませんでした。

そこで大見栄をきった日蓮の登場です。
日蓮は、法弟二人を連れて田辺ヶ池の龍神に雨を祈り
法華経を唱え題目を唱和します。
第五の巻に至った時、黒雲が空を覆い始め雷鳴が轟き始めます。
第六の巻に入ると大粒の雨が降り始め、
その雨は、三日三晩降り続くも洪水にもならず、晴れ上がったと言います。

日蓮は、この雨乞いバトルに勝ちました。
そして勝者の言。
「一文の堀を越えられぬ者が、どうして二文三文の堀を越えられようか。
雨を降らすなどいともたやすい事であろうに、
それも出来ぬ者が、はるかに難しい成仏を説くとは・・」

う~ん、他宗を徹底的に批判していた
日蓮らしい言葉ですねぇ~。

忍性は懇意にしている、執権・時宗
日蓮は、世人を惑わす悪僧。
民衆をそそのかして謀反の憂いがある。」と訴えます。

そして9月、日蓮は、捕らえられて龍の口に曳き立てられる羽目になちゃうんです。

この雨乞いの時に使った護摩壇は、戦利品として忍性から分取り
今は日蓮宗長勝寺の法華堂に当時のまま残っています。