御殿場線 山北~谷峨

この日、
谷峨駅から車のほとんど通らない旧道を
色づいた木々に囲まれながら
テクテクと歩きました。

眼下には、酒匂川の流れ。
あちこちで川鵜が遊んでいます。

 

          いでてはくぐるトンネルの前後は山北・小山駅
           今も忘れぬ鉄橋の下いく水のおもしろさ

 

鉄道唱歌でこのように歌われているように
この辺りは、トンネルと酒匂川に架かる橋梁だらけの区間
渓谷に架かる橋梁を渡る電車と
紅葉の融合を是非、撮りたかった。

残念ながら真っ赤にここの木々が染まるのには、
一週間程早かったようですが、
国府津駅で買い込んだ駅弁を食べながら、
自然の中で川の音色に身を置くのも至福の時でした。

f:id:soft_machine:20211103185036j:plain

f:id:soft_machine:20211103185047j:plain

f:id:soft_machine:20211103185056j:plain

f:id:soft_machine:20211103185105j:plain

 

ここ山北の都夫良野(つぶらの)地区、国道246号線の四軒屋附近(御殿場線旧箱根第二隧道の上)に
線守稲荷という線路の守り神がありました。
線守稲荷大明神の伝説が境内の神社の謂れの案内板にありましたので紹介します。

 

1889年2月1日、現在の御殿場線東海道線として開通した当時、
足柄上郡山北町の鉄道トンネル工事できつねの巣が壊され土地の人達は、
きつねの仕返しを心配していました。
このきつね、都夫良野村の‘駒の子’というところに住んでいて
べつに悪さをするわけでもなく、いつも見晴らしの良い岩の上に坐って
村人のことを見ていました。
おじいさんが荷車を牽いて急な坂を登っていると
時々、このきつねが後ろから押している事もあったそうで、
村人達もこのきつねのことを村の一員のように思っていました。
やがて、工事が完成し列車が通ることになったある日、
大きな石が線路に置いてあったり、蓑、カッパを着た人が赤いカンテラを振ったり
女の人が髪の毛を振り乱して手を振ったりするのが見えました。
機関士が急停車して確かめると全く異常はみられず、
再び発車しようとすると、また灯火がトンネルの出口で揺れだすという有様。
こんなことが何日か続き機関士の恐怖は、つのるばかり。
ある晩のこと、‘駒の子’のトンネルを出たところで線路の上に大きな牛が寝そべっていました。
機関士は、また幻と思い突っ走ったところ何かにぶつかります。
急ブレーキをかけて停車してみると線路の脇には、
しばらく村人の前から姿を消していたあのきつねの亡骸が横たわっていました。

 

箱根第二トンネル工事を請け負った建設業者の親方は、工事中にきつねの巣を潰したことを思い返し
当時の山北機関区と相談し霊を慰めようとトンネルの上に祠を作って祭る事にしました。
今では、線路の守り神としてJR御殿場工務区長が祭主を務め
JR関係者はもとより多くの地元住民の参拝を受けています。

 

また、御殿場線は戦争にほんろうされたこんな歴史もあります。
1934年の丹那トンネルの開通に伴いこの線は、御殿場線という支線になってしまいました。
第二次世界大戦が始まると物資不足に悩まされた政府は、御殿場線を単線にして
外したレールを山口県の柳井線建設にあてます。
使われなくなったトンネルは、無線局の基地となり
山北機関区の跡地には、軍需工場が建設されました。
この日も片側の橋梁が取り外されたアンバランスな橋脚や
使われなくなったトンネルをたくさん見てきました。