横浜線(鶴見川)

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今日は小机城址を訪れる予定で家を出ます。
小机城址を訪ねる前に一駅先の鴨居まで電車に乗りました。
鴨居で降りて、しばし鶴見川の土手をお散歩です。
カワウやカルガモを見ながら秋空の下、のんびり歩くのは実に気持ちがいいです!!
ジョギングする人、河川敷でサックスの練習をする年配の人
それぞれが、それぞれのすがすがしい秋の午後を楽しんでいます。

 

鶴見川の名前の由来を調べてみました。
鶴見区のホームページを見ると鶴見という地名が先にあったように思わす記述も載っていますが、
でも、鶴見川の上流、図師に伝わるこんな話がおもしろいのでちょっとだけ紹介しますね。
平安の初め頃、名もない川のほとりに母と娘が暮らしていました。
娘は、親孝行で村人にもたいへん評判のよい娘でした。
ところがある日の事、母親は娘を呼んで諭すように言います。
「私は、おまえが大人になっても困らぬよう一通りのことは教えてきたつもりです。
だから何も思い残す事はないが、私の亡き後も村の人達に孝養を尽くしていきなさい。」
そういい残すと間もなく母親は息をひきとりました。
一人ぼっちになってしまった娘は、悲しくて悲しくて眠れぬ夜を過ごしますが、
ある晩のこと夢の中に母親が現れて「明日の朝、川のほとりでお前に会おう」と言って姿を消します。
夜の明けるのを待ちかねて川のほとりにいってみると、大きな白い鳥が川を眺めるように立っています。
その白い鳥は、娘が近寄っても飛んでいかないばかりか、かえって娘の方に近寄ってきます。
娘は、この鳥を連れて帰り養います。
この話とこの見慣れない鳥が村中の評判になり、やがて遠方まで知れ渡るようになります。
そして遠方の村から古老が訪れこの鳥を検分します。
古老は、「この鳥は、鶴という瑞鳥(=めでたい鳥)である」と言います。
こうなると噂は、さらに広がり時の国司の耳にも届きます。
そして国司は、「その瑞鳥やらを携えてまいれ」と命じます。
国司は、鶴を一目見て「孝行の徳によって瑞祥(=めでたいことが起こる印)が現れた」と喜び
たくさんの褒美と田畑を娘に与えました。
このことがあってから「鶴が眺めていた川」ということでこの川は鶴見川と名付けられたといいます。

 

あまりに鶴見川のお散歩が気持ちよかったので小机城址を回った後も
最寄の小机駅に向わず、今度は行きと反対側の土手を歩いて鴨居の駅に向いました。
鶴見川横浜線に挟まれた写真4枚目の場所は、昔、水田だったところを埋め立て
横浜市農業専用地区の指定を受け都市農業を守る為、
野菜、果樹、植木が栽培されている東本郷農業専用地区です。

 

小机城については、今日、撮ってきた205系の残りの画像を添えて明日、記事にしたいと思います。