江ノ電300形 極楽寺の山裾

極楽寺川の川砂は、
多くの砂鉄を含んでいて
その砂が堆積した
七里ヶ浜極楽寺川河口附近の砂浜は、
今も黒い砂です。

その河口辺りには、
1950年後半まで
砂鉄の採取場もありました。

この辺りは、
「金山」という地名で呼ばれていて
鎌倉時代初期には、
「金洗沢」とも呼ばれていたようです。

この辺り、
刀や針などの鉄製品を造る鍛冶職人が
多く住んでいたのでしょうね。

極楽寺川の
ここより少し上流に架かる
「針磨橋」の名の謂れが、
そのことを物語っています。