水源は、田辺池とその周辺の湧き水
田辺池といえば
極楽寺の忍性と日蓮の
雨乞いバトルが繰り広げられた地です。
また行合川の西岸を「金洗沢」と呼び、
砂鉄に雑じって砂金が採れたようです。
行合川の川の名には、
龍ノ口法難に関わる
こんな由来があります。
1271年9月12日、
竜の口で日蓮の処刑が執り行われますが
日蓮が若い頃に師と仰ぎ
五代執権北条時頼の帰依を受け、
建長寺の開山となる
大覚禅師(蘭渓道隆)の
助命嘆願書が効を奏して斬首は一時中止
*日蓮宗やその系統の新興宗教では、
斬首しようとした時に
太刀に落雷したとか
江ノ島の方より
満月のような光ものが飛び来たって
首斬り役人の目がくらみ
畏れおののき倒れ」斬首の刑は中止
というように伝承されています。
その後の対応を仰ぐため
使者が鎌倉に向けて早馬を飛ばします。
一方、時の執権時宗は、
この日、夫人の妊娠を知ります。
僧を殺せば七年祟るという。
日蓮処刑はやめて佐渡へ流罪に変更しようと
時宗も赦免の使者を向わせます。
両使者がここで行き合ったというので、
この川を行合川と言う様になりました。