1949 年に中華人民共和国が出来た時から
横浜の華僑社会も
中国本土の政治的混乱の影響を受け
台湾系と大陸系の
対立が続いていました。
1952年、横浜中華学校で
毛沢東を支持する教育が行われているとして
教師が学校から追放されるという事件が起き
この「学校事件」の結果、
横浜中華街は
学校と華僑総会が台湾系と大陸系に分裂。
対立が決定的になります。
道路を整備したり
下水を直すなどの話し合いさえも
話し合いがうまく進まず
山下町の中華街では
行政も入り込めない状況が続きます。
しかし関帝廟の再建を機に
台湾系と大陸系の人達が協力し合い
36年前からは、
台湾系と大陸系の店舗が一緒になって
中華街春節イベントを
催すようになりました。
水面下での思想的、歴史的対立はあれど
今、横浜中華街では
台湾系と大陸系の共存共栄が
成立しています。
この関係が
ずっとずっと続くことを願います。