江ノ電355 陣鐘山

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新田義貞、鎌倉攻めの際、
霊仙山で防衛線を敷く
北条軍と睨み合いをしていたのが陣鐘山。
 
この陣鐘山の南端は、
江ノ電 稲村ガ崎駅のすぐ近く
 
もちろんあの小高い山に
新田軍の総勢が展開出来るわけもなく
新田義貞が最初に本陣を構えた
音無川上流の聖福寺から続く
霊仙山に対峙するこの山々に
兵を配していたのだと思います。
 
 1333年5月19日、
右翼軍を率いた大館宗氏の戦死で
大館軍は、片瀬まで退きます。
知らせを受けて慌てた義貞。
本隊の葛原ガ岡への攻撃を
弟の脇屋義助に任せて、
自ら二万騎をさいて
深沢、津村を抜け腰越に向かいます。
20日には、日坂で北条軍を蹴散らして、
田辺の山道を進んで
正福寺谷に至りました。
そして、正福寺に本陣を置き、
前面の山(現在の陣鐘山)に布陣します。
稲村ガ崎での竜神とのやり取り進軍のお話は、
みなさんご存知でしょうから省いて
今日は、陣鐘山でのお話に切り替えましょう。

21日、山の上から月明かりに
霊山・極楽寺坂の北条軍を見るとその山地一帯は、
北条軍の堅固な陣構え。
海の上には、大舟浮かび遠矢の構え。
一分の隙さえありません。
そこで義貞がとった行動とは・・・?
まず、本陣のある正福寺の釣鐘を
北条軍が布陣する
霊山と相対する陣鐘山に担ぎ上げます。
そしてその鐘を
総攻撃の合図のように打ち鳴らしました。

でも実際に攻撃を仕掛けたのは、一部の兵力。

極楽寺切り通しを突破すると
北条軍に思わせておいて
実は、稲村ガ崎を廻って
鎌倉に侵攻する目論見。
 
北条軍の目を引き付けて
義貞さん達一行は、岬を目指したのでした。