Tsurumi Line Tracks (Nostalgia Ⅱ)

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鶴見駅 
Tsurumi Line Tracks Platform 4...

今を感じさせられてしまう
駅の広告ポスターなど一切なく

年季の入った
真っ黒な木製の長椅子が置かれ

「皆さんお元気で」と書かれた
朝鮮民主主義共和国
鶴見地区帰国者一同から
1959年に贈られた
大きな時計が時を刻む

鶴見駅4番線ホーム
国道駅に勝るとも劣らない
素敵を感じ取れる場所

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鶴見駅4番線ホームの壁時計
金ジョンス

今日もありがとうの気持ちを刻みながら
時計は回っている
吹きすさぶ雪や雨に打たれながらも
50年を一日の如く回り続けている
朝鮮人虐殺の生き地獄の中で
救いの手を差し伸べてくれた日本の方々
その恩情を刻みながら
埠頭工事現場に引きずられ
荒仕事に疲れ果てた手を握り温め
干し菜葉の汁を炊きだしてくれた
その人情も刻みながら
「皆さま お元気で-
鶴見地域 帰国者一同
1959年」
この時計、このプレートを外せと
脅し吠える声にも揺るぐことなく
その感謝の日々を刻々と刻みながら
今日も時計は回っている
勤め帰り、私が手にした夕刊には
またしても「制裁」の大きな活字
鶴見駅4番線ホームに
電車が入る

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1939(昭和14)年に『募集方式』による、朝鮮人の強制連行が始まり、
1942(昭和17)年には『官斡旋(かんあっせん)方式』による
無差別な強制連行が行われ、
多くの在日韓国・朝鮮人は、日本鋼管をはじめとする
軍需工場で働くようになります。

1945(昭和20)年、敗戦とともに日本人の従業員が郷里に帰り、
空き家になっていた所へ、
それまで各工場内の寮などに収容され、
強制的に働かされていたりしていた朝鮮人が住むようになりました。