鶴見駅4番線ホームの壁時計

鶴見駅4番線ホームの壁時計


               金ジョンス

今日もありがとうの気持ちを刻みながら
時計は回っている
吹きすさぶ雪や雨に打たれながらも
50年を一日の如く回り続けている

関東大震災
朝鮮人虐殺の生き地獄の中で
救いの手を差し伸べてくれた日本の方々
その恩情を刻みながら

埠頭工事現場に引きずられ
荒仕事に疲れ果てた手を握り温め
干し菜葉の汁を炊きだしてくれた
その人情も刻みながら

「皆さま お元気で-
朝鮮民主主義人民共和国
鶴見地域 帰国者一同 1959年」

この時計、このプレートを外せと
脅し吠える声にも揺るぐことなく
その感謝の日々を刻々と刻みながら
今日も時計は回っている

勤め帰り、私が手にした夕刊には
またしても「制裁」の大きな活字
鶴見駅4番線ホームに
電車が入る


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1939(昭和14)年に
『募集方式』による
朝鮮人の徴用が始まり
1942(昭和17)年には
『官斡旋(かんあっせん)方式』による
無差別な強制連行が行われ
多くの在日韓国・朝鮮人は、
日本鋼管をはじめとする
軍需工場で働くようになります。


1945(昭和20)年、
敗戦とともに
日本人の従業員が郷里に帰り
空き家になっていた所へ、
それまで各工場内の寮などに収容され
強制的に働かされていたりしていた
朝鮮人が住むようになりました。


そして
1959年から84年まで
日朝両政府の了解のもと、
日本赤十字社
朝鮮赤十字会が実務を担い
自民から共産まですべての政党や
自治体、マスコミも後押し
結果的に
在日朝鮮人を騙す取り組みだった
北朝鮮帰還事業が行われます。


その時に
差別もない貧困もない
地上の楽園を夢見て
新潟から船に乗った
在日朝鮮人の人達から
送られた時計が
鶴見駅
鶴見線ホームにあります。