江ノ電355 腰越状

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七里ヶ浜で、彼岸花江ノ電と共に撮っていたら
急な大雨に見舞われて退却。
 
でもこのまま帰ったら
せっかく大船駅で購入した
鎌倉・江ノ島パスのお得感がないよなぁ~と思い
腰越駅で下車。
 
久し振りに満福寺を訪れます。
 
このお寺で書かれたという腰越状
寺には、弁慶によって書かれた下書き(原文)が
ガラスケースに入って展示されています。
 
その下書きが、寺に残っていた理由までもが
もっともらしく
高校生の頃だったかな
腰越状って弁慶が草案したんだと信じた(笑)
 
満福寺で腰越状が書かれたのは間違いないだろうけれど
あの長~くて美しい文脈の腰越状
一体誰が代筆または、加筆したのかな?
 
義経一行の中に
壇ノ浦の戦いにも義経軍に従軍して合戦記を書いた
中原信康がいて彼が書いたの?
中原信康と同じような役目を担っていた義経の従者が書いたの?
 
それとも腰越状を渡された大江広元
大江広元の命を受けたその家臣が、
義経にこんな風に書きなさいよとアドバイスしたとか・・・・
 
いやいや今に伝わる腰越状は、
もっと後,「吾妻鏡」編纂の頃に
文意は変えずに書き換えられたものかも?
 
ほんとに義経にまつわる話は、
腰越状にしても
この腰越で行われた義経の首実検にしても謎が多いですね。