急な大雨に見舞われて退却。
でもこのまま帰ったら
せっかく大船駅で購入した
鎌倉・江ノ島パスのお得感がないよなぁ~と思い
腰越駅で下車。
久し振りに満福寺を訪れます。
このお寺で書かれたという腰越状、
寺には、弁慶によって書かれた下書き(原文)が
ガラスケースに入って展示されています。
その下書きが、寺に残っていた理由までもが
もっともらしく
高校生の頃だったかな
腰越状って弁慶が草案したんだと信じた(笑)
満福寺で腰越状が書かれたのは間違いないだろうけれど
あの長~くて美しい文脈の腰越状を
一体誰が代筆または、加筆したのかな?
義経一行の中に
中原信康がいて彼が書いたの?
中原信康と同じような役目を担っていた義経の従者が書いたの?
大江広元の命を受けたその家臣が、
いやいや今に伝わる腰越状は、
もっと後,「吾妻鏡」編纂の頃に
文意は変えずに書き換えられたものかも?
ほんとに義経にまつわる話は、
腰越状にしても
この腰越で行われた義経の首実検にしても謎が多いですね。