江ノ電 龍口明神社の紫陽花

 
龍口寺のお隣、
向かって左側の石段の上に
龍口明神社の拝殿が残っています。
 
湘南モノレール西鎌倉駅近くの津の地にある
龍口明神社は、
もともとここに鎮座していました。
 
流れ破風造りの古びて荒れた社には、
龍の彫刻が施されています。
 
これが立派な彫り物で
私は、この神社の前を通る度に
石段を登ってご挨拶しています。
 
社殿へ通じるその石段脇には、
今、沢山の紫陽花で飾られています。
 
 
 
 
龍口明神社の龍には、
江之島弁天とだき合わせた伝説があります。
津村の低地に大きな池があって、
五頭竜が住んでいました。
一身五頭の竜は、
洪水や山崩れを起こし火の雨を降らす暴れん坊。
さらに子供を食べてしまいます。
里人は、里の平和を願い
毎年、子供を人身御供として竜に差し出します。

その時、坂を越えて竜の元へ行く事から
子死越(腰越)の地名になったと言われています。

552年4月12日、
腰越の海岸に黒雲がわき上がり
地震の鳴動と共に海上にこつ然と一つの島が現れます。
すると五色の雲がたなびき美しい天女が左右に童子を従えて
紫雲に乗ってその島に舞い降ります。
天女は、弁財天だったといいます。

五頭竜は、
この天女を見て心奪われ結婚を申し込みます。

天女は、
「おまえは、慈悲の心なく人の命を奪う。
里人は、おまえを恐れ嫌っている。
そのような悪者と
どうして夫婦になれますか。」と断ります。

五頭竜は、深く反省し改心して
天女は、これを評して夫婦になります。

その後、五頭竜は弁財天と力を合わせ
台風から里を守ったり恵みの雨を降らしたりしますが、
体が弱り山となり島と里人を守ると言い残し
江の島に向って長々と横たわります。

これが‘竜口山’で、
横たわった竜の口の辺りを
「竜の口」という地名として残っています。

里人は、善竜となった竜を祭って
この神社を建てました。 
 
(江之島神社縁起絵巻より)