江ノ電(霊仙山)

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先日の金曜日、稲村ヶ崎温泉に浸かった後、
極楽寺の谷間を歩いていたら霊仙山に登ってみたいという気持ちが沸々と湧いてきました。

極楽寺川に架かっていた鎌倉十橋の一の針磨橋の所を山に向かって折れ、
坂を登って行くと崖の上に石碑があります。
これが、霊仙山かな?
実は、今ひとつ正確に霊仙山の場所を把握出来ていない。
ちゃんと調べてから家を出るんだったな・・・。
確かめる為に石碑に近付こうにもこんなマニアック(?)な史跡を訪れる人もいないようで、
草がボウボウ、とても近付けない。(泣)

少し離れた所に草に覆われながらも崖を登れそうな道を発見。
迷わず登ってみます。
蛇行しながら草を踏みしめ登って行くともう少しで頂上(?)というところで、あえなく行き止まり。
草木が生い茂ってとてもこれ以上登れません。
でも、そこからは、木々の合間から極楽寺の谷間を行く江ノ電の姿を見る事が出来ました。
緑の少なくなった冬には、より展望の良さそうな場所です。
お気に入りの江ノ電撮影地がまた一つ増えたということで良しとしましょう。

霊仙(りょうせん)山の事、何度か記事にしてますが、今回もちょっとだけ書きとめておきましょう。

鎌倉時代には、この山も極楽寺の境内に含まれていました。
住職忍性は、この山上に塔頭(たっちゅう)仏法寺という一院を建てて住居としていました。
当時この山は、雑草もなく眺めの良いきれいな境内だったそうです。
当時の極楽寺の事は、こちらの記事に詳しく書いた事がありました。

元弘3年の新田の鎌倉攻めの時には、北条軍はこの山全体を防御陣地にして
大仏貞直を将とする北条軍が守備していました。
極楽寺の谷を隔てた向こうの山嶺は、新田軍が陣地にしていたので、
谷を挟んで数万の両軍が対峙して激戦を交えています。
この時の様子は、以前この記事に詳しく書きました。

また、ツベリクリン発明のドイツの医学者コッホは、
北里柴三郎らとこの山の山上に当時あった公園からの眺望を眺め気に入り別荘を建てています。
(後に北里の弟子達がこの山上の別荘跡にコッホの記念碑を建てていますが、
その碑は、稲村ヶ崎公園に移されています。)