JR鶴見線 浅野駅

後に京浜工業地帯となる
横浜市鶴見区川崎市の沿岸を埋め立てた
浅野総一郎の名が由来の浅野駅

この駅から
ソーキそばを食べるため
横浜・沖縄タウン(沖鶴地区)に向かいます。

具志堅用高がゲスト出演した
テレビ番組で語った話

チャンピオンになって沖縄に凱旋した時
みんなから「おめでとう」じゃなく
「ありがとう」と声をかけられたの

一緒に番組に出ていた人たち
ふ~んという感じで聞き流す

そこで具志堅さん
「仕事がやりやすくなったという人も
沢山いてね」と続けるも
具志堅、
また意味不明の事をしゃべってるよと思われ
彼の話題は途中で遮られます。

沖縄県人に差別をしてきた
「本土」の人達ならではの
加害認識のない対応だったな。


約3万人もの
沖縄からの移住者を受け入れた鶴見でも
沖縄県民に対する差別が
目に見えて存在しました。

京浜工業地帯の川崎市や鶴見は、
労働力確保の為
貧困地域だった沖縄の人を受け入れたけど
待ち構えていたのは
今では考えられない様な
高度成長期の「きつい・汚い・危険」の
いわゆる3Kの仕事

沖縄出身者は
就職も進学も、家を借りるにも、
差別や言葉の問題などで難しかったし
「沖縄人お断り」の貼り紙を
出す店まであった。

もちろん恋愛や結婚にも
差別による障害があった。

店を出すにも起業するにも
銀行は相手にしてくれないから
小口金融のための「モアイ」という
沖縄独特の自給自足の組織を
この街でつくった。

鶴見の街の一角に沖縄出身者が集ったのは
沖縄出身者同士で
支え合っていかなければ
生きていけないという現実があったから