JR鶴見線  鶴見沖縄タウン 

慰霊の日の6月23日、
朝から「さとうきび畑」を聴いたら
何か込み上げてくるものがあって目が潤み
そのまま、「おきなわ」に足が向いていた。

下車駅は、
リトル沖縄タウンである
仲通りの最寄り駅の一つ
JR鶴見線鶴見小野駅

朝ドラ「ちむどんどん」効果か
「おきなわ物産センター」へは
入れ代わり立ち代わり
観光客が入店していく
ランチをとった
沖縄そばの店
「ヤージ小(グヮー)」でも
多くの観光客で賑わっていた。

ここにいる観光客の人達、
どれだけの人が
この街に来た沖縄出身者への
壮絶な差別の歴史を
知っているのだろうか?

沖縄人に対する差別は
目に見えて存在した。
「沖縄人お断り」の貼り紙を
出す店まであった。

川崎市や鶴見は、
貧困地域だった
沖縄の人を受け入れたけど
待ち構えていたのは
今なら問題になる様な
高度成長期の
「きつい・汚い・危険」の
いわゆる3Kの仕事

1970年前半まで、
沖縄出身者は
就職も進学も、家を借りるにも、
差別や言葉の問題などで
難しかった。

もちろん恋愛や結婚にも
差別による障害があった。

店を出すにも起業するにも
銀行は相手にしてくれないから
小口金融のための「モアイ」という
沖縄独特の自給自足の組織を
この街でつくった。

この街に沖縄出身者が集ったのは
沖縄出身者同士で
支え合っていかなければ
生きていけない現実があったという
そんな歴史があった。