江ノ電(長谷)

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今日、鎌倉の寺社の写真を撮りに出かけたついでに長谷まで足を伸ばし
当館に飾る写真も撮ってきました。
1枚目は、長谷駅の傍を流れる稲瀬川を渡る江ノ電
稲瀬川(いなのせかわ)は、長谷観音辺りから由比ヶ浜に注ぐ500m程の小さな川ですが、
由比ヶ浜の河口附近に建つ碑文を要約すると「源頼朝の妻、政子が1180年10月に初めて鎌倉入りする時、
良い日柄に鎌倉入りする為の日取りの調整で数日間、この川辺の民家に滞在しています。
また頼朝は、1184年に弟の源範頼(のりより)が平家を討つため出発するのをここで見送ったり
1185年に父の源義朝(よしとも)の遺骨を出迎えたのもこの川辺です。
1333年に新田義貞軍の大将大館宗氏(おおだてむねうじ)がこの河原で討ち死にしたのは有名です。」
この碑文から当時、ここは鎌倉の西境になっていた場所だったことがうかがえます。
2枚目は、長谷駅附近から御霊神社(鎌倉権五郎景政神社)方面の山を撮ったもので
ここに江ノ電唯一のトンネルがあります。
明治40年2月に完成したこのトンネルは、こちらの長谷側では「千歳洞」
極楽寺側では「極楽洞」と二つの名前を持っています。