京急(池子の森)

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288万4308平方メートルを擁する池子の森の脇を京急逗子線が走る。
池子の森は、戦時中には池子弾薬庫があり1945年9月1日米海軍に接収されると
朝鮮戦争ベトナム戦争で使用する弾薬を貯蔵する施設があった。
1978年、この施設が遊休化すると日本政府は851億円を投入しここに米軍住宅をはじめとする米軍の為の
生活施設を造り1998年8月には、広大な敷地に831世帯3225人が住む新しいアメリカの町が出来上がった。
日本軍やアメリカに支配され続け一般の人が立ち入り出来ないこの森は、
首都圏で最大の自然が残る森となった。
1枚目)神武寺駅を発った1500型羽田空港行き
神武寺駅横には、米軍住宅に住む人達のために日本政府が造ったテニスコートや野球場などの施設が
ひろがっています。
2枚目)池子の森には、100種を超える鳥が住んでいます。
この池子大池で撮影している間にもカワセミや鷺などが舞い降りてきました。
3枚目)横浜市六浦町エリアの池子の森
防衛施設庁は、根岸にある米軍住宅400戸の老朽化と県内米軍住宅の不足を理由に
ここに800戸の米軍住宅と米軍の街を形成する為の施設の建設、整備を横浜市に申し入れました。
これだけ広大な森林は、県西、県北の山岳部と三浦半島の一部しか残っていない為
森が壊されるとしたら残念なことです。
(米軍は、ここに住宅を造る替わりに上瀬谷、深谷、富岡の施設と根岸住宅を返還するとしてますが
実は、日米地位協定で「使用目的が終了し遊休化した施設はいつでも日本に返還しなければならない」と
決められているので交換条件にならないとのことです。)