JR根岸線 鍛冶ヶ谷第一隋道、鍛冶ヶ谷第二隧道

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久しぶりに「横浜市栄区鉄道路線」の書庫からの記事になります。

横浜市の南端に位置する栄区
ここは、相模の国と武蔵の国の国境であり
この写真の辺りがちょうど境界。

国境になるだけあって根岸線の開通(1973年)前は、
相武を隔てる山の尾根が続く取り残された場所だった。

根岸線がなかった小学生の頃、
大船から実家の屏風ヶ浦に戻るには、バスで上大岡に出るのが最短コース。
鎌倉街道を走るバスの中から見た鍛冶ヶ谷附近の印象は、暗い・寂しいというものだった。

この鍛冶ヶ谷、
その地名が示すとおり、かっては鉄を鍛えて農具や武具を造る職人達の住居が多数あったところ。
附近には、飛鳥時代から製鉄作業が行われていたことを示す遺跡や
関東では珍しく横浜では、ここにしかない縄文信仰の「アラハバキ神」が祀られている。
このアラハバキ神は、東北からここに来て鉄を生産していた鍛冶職人が祀ったものらしい。

そんな鍛冶ヶ谷が、豹変したのが1970年代。
京浜工業地帯のベッドタウン化により山が切り崩され整然と住宅が立ち並ぶようになる。

この隧道もその頃に新興住宅街への抜け道として掘られた。