杉田の梅林(京急1000形と梅)

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先日、杉田の梅林の面影がかろうじて残る妙法寺を訪ねてみました。
この妙法寺、1352年に建立された日蓮宗のお寺で杉田梅林の中心でした。

杉田一帯は土壌が田畑に適さなかった為、天正年間(1573年~1592年)の頃、
この辺りの領主を務めた間宮信繁が梅木の植え付けを奨励します。
その果実を売らせて農民の生活苦を和らげようとしたのです。
元禄(1688年~1704年)の頃には、3万株となり
寛政~享和(1789年~1804年)には、
近隣の森、根岸、滝頭、富岡の村々も梅木を植えたそうです。

1764年頃から杉田の梅林は、金沢探勝のルートとして加えられています。
1804年以降、江戸近郊の梅の名所として文人墨客も訪れるようになり
佐藤一斉の「杉田村観梅記」、清水浜臣の「杉田日記」が世に出てからは、
観梅客が海路、陸路から訪れ賑わったそうです。

しかし、今は杉田に当時の面影は全くありません。
梅林小学校という小学校の名が当時を留めているくらいかな。