江ノ電(和田塚)

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昨日、郷土史研究家・清水銀蔵氏の著書を片手に鎌倉を歩きました。
この本、ちょっとマニアック、
一般にはあまり知られていない史実や見落としがちな史跡も紹介されています。
今回選んだ道程は、江ノ電と所々で絡むコース。
ちょっと寄り道して江ノ電も写しています。

今日は、江ノ電ファンの方にも駅名として馴染みのある和田義盛のお話です。
歴史ブログじゃないのでサラッと義盛最後の場面を書きますね。

1213年頃になると北条義時の源氏政権乗っ取りの謀略は、ますます露骨になってきます。
幕府御家人の有力者をあの手この手で次々に消してきた義時。
次に狙うは、将軍実朝の信任厚い和田義盛です。
数々のいやがらせをして挑発します。
その挑発に和田一族や同心の御家人は、我慢ならないと義盛を急き立てます。
そしてついに5月2日、義盛を押し立てて義時打倒の兵をあげるのです。
雪ノ下、若宮大路一帯で壮絶な市街戦。
初めは、和田方優勢だった戦局も夜に入ってからは北条方有利な展開。
翌3日の夕刻には、一の鳥居辺りで最後の決戦となり
あえなく和田軍は、全滅してしまうのです。
その夜、和田方の武士の数百の首が、由比ヶ浜の首棚に並べられ
あかあかと燃えるたいまつの火の中で、義時は、一つ一つ首実検したといいます。
江ノ電和田塚駅の近くにある和田塚。
この塚は、もともと古墳で、そこに和田方の戦死者を埋葬したと考えられていましたが、
近年の調査で、塚として築き上げたものではなく砂丘の削り残しである事がわかりました。

写真は、昨日の午前11時過ぎの和田塚駅の光景です。