江ノ電(由比ガ浜)

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江ノ電沿線、知られざる史跡探訪シリーズ第2弾は、由比ガ浜です。
今回歩いている由比ガ浜1~4丁目は、霊とかを信じる方にとっては、
知らないほうが良かったと思える場所かも知れません。
ですから紹介しちゃいましょう。(笑)

由比ガ浜1丁目の由比ヶ浜大道沿いにある六道地蔵
ここからやや北によった所に首切り場があって飢渇畠(けかちばたけ)と呼ばれていました。
処刑された罪びとの怨霊で辺りには、草木も生えないという荒地だった所です。
ここに罪人の霊を弔う為に地蔵を祀ったのが'六道地蔵の始まり。
後に今の場所に移されましたが、この地蔵の東側の隣接地からは、
江戸時代の埋葬人骨がざくざくと出土しています。
また、由比ガ浜2丁目の簡易裁判所の用地造成の時には、850体もの人骨が出てきました。
骨には、刀創、刺創、打撲の跡が多く、刀槍や鎧の破片も一緒に出土して
新田義貞の鎌倉攻めの時の戦死者だと分かっています。
この多数の人骨は、竹寺で有名な報国寺の境内に移葬されています。
さらに由比ヶ浜駅の近くの数基の五輪塔が並ぶ史跡、盛久頸座(もりひさくびざ)辺りもかっての刑場で  時々、人骨が出土しています。
由比ヶ浜の浜辺りが多くの惨状の場であったのは、ご存知の通り。
最近でもたまに人骨が出たと新聞に載りますよね。

つかみの部分が随分長くなっちゃいました。
飽きなければこれから始める歴史教室にもご参加下さいね。
由比ヶ浜にまつわる史実、あまりにもたくさんあって何を選ぼうか迷ったのですが、
つかみの記述の中にもちらっと書いた主馬八郎座衛門盛久(しゅめはちろうざえもんもりひさ)のお話をいたしましょう。
主馬盛久は、平家累代の家人、名だたる豪将でした。
壇ノ浦での敗戦の後、頼朝を狙う為、密かに京都に潜ります。
まず、日頃信仰していた清水寺の観音様に参拝し平氏の冥福と頼朝暗殺の成就を祈っていました。
ある日、清水坂にかかったところを北条時政の兵に見とがめられて捕らえられます。
鎌倉に護送されて1186年6月28日、この地で斬首されようとしました。
しかしその時、潜ましていた清水観音に刀があたって首が斬れず赦免になったという
平家物語らしいお話ですね。
ちなみにこの盛久が守り本尊にしていた千手観音は、上野の山にまつられ
今では、清水観音堂の本尊になっているそうです。

                          写真は、すべて由比ガ浜3丁目での撮影です。