京急 屛風ヶ浦

根岸湾埋め立て前は、別荘地だった
屛風浦駅を見下ろす
小高い山の中腹から屛風ヶ浦の街を眺めます。

撮影地のこの山には、数十年前まで
横浜港湾部に多くの倉庫を持つ社長さんをはじめ
大きな会社の社長宅や
田中角栄の秘書だった早坂氏の身内や医者など
大豪邸がたくさんありました。

京急の駅名にもなっている屛風ヶ浦
(現在の京急の駅名は、屛風浦)
この名の由来を辿れば、
源頼朝が、戦時に備え
金沢、富岡、杉田などを
船の上から検分した折、
磯子の浜辺にそそり立ち連なる断崖を
屏風にたとえたのが始まり。

鎌倉幕府最後(9代目)の将軍
(もちろんお飾り将軍)の守邦親王は、
1333年、鎌倉に戦乱が起こった時、
権現堂福禅寺の長円を伴い
薬師仏像と共に鎌倉を脱し
ここ森村に移りました。

その薬師仏は、
浅間神社本地仏として
1335年5月28日に安置され
浅間神社御神体となっています。

写真手前の家々の中に
今はすたれてしまったけど
白旗商店街があります。

北条氏綱北条早雲の嫡男)の時代には
この辺りの波打ち際には、
里見軍が攻めて来た時に
足軽の数が多いと見せかける為
白旗を立てる円筒形の石が
沢山並べられていたそうで
その実物は、
前述の森浅間神社
屏風ヶ浦小学校に残っています。

屏風ヶ浦
根岸湾で初めて海苔の養殖が始められた場所
屏風ヶ浦の景観が一変したのは、
1959年からの根岸湾埋め立てにより
湾内に東芝
石川島播磨重工業(IHI)が進出した頃から。

写真に写っている
石川島播磨重工業では、
NHKプロジェクトX
「世界最大の船 火花散る戦い」で紹介された
世界初の20万トン級VLCCタンカーの
出光丸(1966年竣工)を生みだし
1971年には日石丸(37.2万トン)
1975年には日精丸(48.4万トン)を建造し
時の世界最大記録を次々と塗り替え
日本の高度成長期の一翼を担います。