江ノ電 極楽寺駅俯瞰

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現在では、掘り下げられ
崖はコンクリートで覆われ
道は舗装されて当時の面影は微塵もありません。
 
それで、ここは国指定史跡になれなかった
鎌倉の切り通しです。
 
久しぶりに切り通しの北側の崖の上にある石仏群を見に行きました。
 
そこは、極楽寺の忍性が切通しを造った時の
ちょうど坂の頂上に位置する場所。
 
切り通しの道を隔てて向かい側にある成就院の山門から
2メートル程下がった場所が、
当時の極楽寺坂の頂上という言い方をした方が分かりやすいかな。
 
さてその石仏群、
切り通しの崖に咲く水仙を見ながら整然と並んでいます。
 
切り通しを掘り下げる時、
この一帯にあった石仏を
ここに集めたのでしょうね。
 
この極楽寺切通しを造った忍性は、
北条氏の庇護のもとで
道路改修・架け橋・井戸の掘削などの土木事業にも関わっています。
 
幕府はそれらの報酬として、陸・海上の交通路や河川の管理を任せていました。
それらの土地で関銭の徴収権などを忍性らが行使する事によって、
極楽寺の収入となる仕組みになっていたのです。
 
写真は、私が訪れた石仏群のある山に連なる場所から
極楽寺駅、稲村ガ崎方面を見下ろしています。
 
掘り下げられる明治時代以前の極楽寺切通しも
きっとこんな最高のビューポイントだったんだろうな。