軍畑というと秩父からの鎌倉街道、山の道(前橋~藤岡~秩父~青梅~八王子~町田~藤沢~鎌倉)が
多摩川とぶつかる辺りとして交通の要衝でした。
1560年頃、この辺りを治めていたのが三田氏。
もともと山内上杉に仕えていたものの一時(小田原)北条に属します。
しかし、上杉謙信の関東侵攻を機に再び上杉について生き残りを果たしています。
多摩川とぶつかる辺りとして交通の要衝でした。
1560年頃、この辺りを治めていたのが三田氏。
もともと山内上杉に仕えていたものの一時(小田原)北条に属します。
しかし、上杉謙信の関東侵攻を機に再び上杉について生き残りを果たしています。
青梅から多摩川上流まで広く勢力を伸ばしていた三田綱秀。
その居城である二俣尾駅の裏山(雷電山)の山頂にあった辛垣(からかい)城を狙っていたのが
八王子の滝山城の大石定久の娘婿になった北条氏康の三男、氏照。
その居城である二俣尾駅の裏山(雷電山)の山頂にあった辛垣(からかい)城を狙っていたのが
八王子の滝山城の大石定久の娘婿になった北条氏康の三男、氏照。