青梅線(軍畑)

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軍畑」、ちょっと史実のありそうな地名ですよね。
駅のすぐ近くには、鎧塚の史跡があったり鎧橋という名の橋もある場所となると
歴史好きな私は、ちょっと調べてみたくなります。

軍畑というと秩父からの鎌倉街道、山の道(前橋~藤岡~秩父~青梅~八王子~町田~藤沢~鎌倉)が
多摩川とぶつかる辺りとして交通の要衝でした。
1560年頃、この辺りを治めていたのが三田氏。
もともと山内上杉に仕えていたものの一時(小田原)北条に属します。
しかし、上杉謙信の関東侵攻を機に再び上杉について生き残りを果たしています。

青梅から多摩川上流まで広く勢力を伸ばしていた三田綱秀。
その居城である二俣尾駅の裏山(雷電山)の山頂にあった辛垣(からかい)城を狙っていたのが
八王子の滝山城の大石定久の娘婿になった北条氏康の三男、氏照。

1563年、ついに滝山城城主、北条氏照は、軍を引き連れ辛垣城総攻撃!!
多摩川を渡り辛垣城やその麓に火を放ち落城させます。
ここ軍畑は、以前は、戦端と記されていたそうです。

青梅線一の名撮影ポイント、平溝川鉄橋を控える軍畑
こんな歴史があったのですね。

写真は、軍橋大橋から多摩川の上流を眺めています。
オレンジ色、見つけてください。(笑)