森浅間神社

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今朝の朝日新聞に祭神ごとに神社が分類されその数が明らかになったという記事が載っていました。
日本で一番多いのは、八幡信仰の神社(7817社)。
これはまァ、クイズにもならない位、だれでも想像がつくでしょう。
では、2位は?
伊勢、天神、稲荷のどれでしょう?
この辺りになるとつい身近な神社を選んでしまいそうですね。
答えは、伊勢信仰の神社(4425社)
次いで天神信仰(3953社)、稲荷信仰(2970社)と続きます。
この4信仰の神社だけで全国約7万9千の神社の内4分の1を占めるのだそうです。

さて、今日紹介する浅間神社、先程の朝日新聞の記事によると
この浅間信仰富士信仰)の神社は、全国で397社あり
富士山の見える場所にしかありませんから全国25信仰中22番目の神社の数になります。

浅間神社は、私が結婚するまで暮らしていた屏風ヶ浦一帯の鎮守です。
といっても私がここに住んでいた頃は、火事でず~とお社がなくて
うっそうとした木々の中に鳥居とこの写真の狛犬だけが残っていました。
近年、立派なお社が再建され参道も整いました。
その参道をヒィーヒィー言いながら登っていくと京急屏風ヶ浦の街並みを走っていく姿が見えました。
急な山道の参道の中腹で一休み。
京急の電車を写します。
なんでもない街の写真ですが、すごく思い入れのある街なので、
こんな退いた写真を選んでUPしちゃいました。

さあ、横浜南部に関わりのある人しか興味が湧かないだろう記事が続きますよ~。
ここからは、森浅間神社開創の縁起話です。
鎌倉時代の1197年、幕府は、ここ森村に対岸の上総、下総への海路
及び戦略上の要所として陣屋を設けます。
(ここ森からは、笹下、峰を通って鎌倉に通ずる道があります。)
当時の陣屋には、堂の建立はつきもの。
この山頂に霊峰富士より木花咲那姫命の分霊を受けて堂を建立しました。
鎌倉扇ヶ谷にあった亀谷山権現堂福禅寺の法灯を継ぐ歴代住職は、
この地に赴き各種祈願をなしたといいます。
鎌倉幕府最後(9代目)の将軍。もちろんお飾り将軍の守邦親王は、
1333年、鎌倉に戦乱が起こった時、権現堂福禅寺の長円を伴い
薬師仏像と共に鎌倉を脱しここ森村に移りました。
この薬師仏は、1335年5月28日、森浅間神社本地仏として安置され
浅間神社御神体となっています。