
諸国の家臣達が「いざ鎌倉」という時に
急いで鎌倉に駆けつけられる
軍事道の脇にあった畑が分譲の為、造成が始まり
もうそこから根岸線を撮影出来なくなると知り
カメラを持って行ってきました。
この写真の奥に見える山の向こう側が、
ちょうど円覚寺や建長寺や鶴岡八幡宮のある場所。
横浜市といっても
かっては、鎌倉郡だった私の住む町には、
鎌倉に通ずる歴史の道が何本も通っています。
源頼朝が幕府を開いた時に造った
鎌倉道の「中の道」「下の道」。
幕府第三代執権の北条泰時が1240年に造った
中の道の新道にあたる「山の内道」などです。
鎌倉時代は、
馬2頭がやっと並んで走れる幅2m程の古道。
もちろん当時の面影はありませんが、
この道の先にある出立川(㹨川 )という川の名や
鎧姿で鎌倉を出立した武士達が
これからの遠征の為、軽装に着替え
見送りの人達は、
ここで別れの宴を開いてから帰ったという
そんな由来から名付けられた
帰り橋(海狸橋)という橋の名、
山ノ内道が出来た時に宿場の場所が変わった為に
名付けられた新宿という地名や
その時に架けられた
新しい橋ゆえに名付けられた新橋など
当時を偲ばす名称がこの辺りには
いくつもあります。