雪柳の白さを見る度、
口ずさむ曲がある。
それが、
Micro / Yukiyanagi
どんなに技術的に優れた写真でも絵でも
作者の気持ちがそこに投影されたものには
太刀打ちできませんよね。
娘婿が撮る我が子(私の孫)の写真、
背景の処理がだめだなとか、
なんでトリミングしないのというような
ド素人写真だけど「愛がある」と
私が撮る写真より評判がいい。
映像の仕事をしている次女の組み写真には
物語が埋め込まれていてさすがプロなんです。
それに比べて空気感を読まずに
カッコよく表現したいとだけ思って撮った
私の孫写真は評価されない。
筆やカメラは精巧に写し取れるコピー機ではなく
コミュニケーションツール、
人や風景を描く撮るというのは
作者と被写体との
内なるコミュニケーションだと思えば
魂が入るよなと思うのだけど
いざ被写体を目の前にすると
かっこいい作品を作り上げたくなって
それを忘れてしまう事もしばしばなんです。
私と妻と次女夫婦とで中華街ランチ
私一人の時は、いわゆる大衆店で
ラーメン・チャーハン+点心とザーサイ
+杏仁豆腐のセットが常なんだけど
家族で食事をする時は
それほど頻繁ではないので
中華街の高級店と言われるお店を選びます。
この日に予約したお店は、
創業1955年、上海料理の老舗「状元樓」
上質を重視したという
4800円のランチコース料理を
予約していました。
フカヒレ姿入りまろやか茶碗蒸し
抜群の美味しさ
コース料理の他に追加で注文した
マーボー豆腐の土鍋煮込み
口に入れた瞬間は、
刺激的な辛さに「おっ!」となるけれど
一呼吸置くと
コクのある辛さであることがわかる。
そして「甘さ」の余韻が残る麻婆豆腐
これまた絶品!!
20代と50代以上を対象とし
それぞれが横浜中華街に対する
イメージの違いや
興味のあるものを知るための
アンケート調査があった。
食の項目では
20代は食べ歩きや
食べ放題を楽しむ場所であると認識
一方50代以上は
豪華中華料理を楽しむ場所と認識
若い世代から支持されなくなった
高級店ほど苦戦していて
聘珍樓は閉店するし同撥別館は休業
高級店の料理ってやっぱ凄いやと
高級店を利用するたび思います。
そして、
その違いを若い人にも知って欲しい。
本物を提供してくれる高級店、
頑張って欲しいな。
吉田新田を開拓した
吉田勘兵衛の子孫や横浜商人らによって
1874年に完成した運河、掘割川
明治時代の掘割川には
外国人居留地にあった
ヘルム・ブラザーズ商会の
木造船の造船所が
掘割川右岸、坂下橋と磯子橋の間にあり
現在もその水門跡が残っています。
掘割川の造船所というと
今は、河口のこの写真の辺りに
曳船やバージなど港内業務船の造船所
河野造船所(シーサイド造船所)があります。
またその並びの右岸の川辺には、
1886年に当時の横浜在留の
外国人有志により設立された
日本最古のヨットクラブ、
横浜ヨット協会のクラブハウスがあり
収容能力:33艇のヤードや
長さ25mのポンツーン、
クレーンなどを備えています。
掘割川河口は、船宿も多かった場所
この写真のそばには、
「磯子根岸つり船センター」があり
今でも田村丸、根岸丸、
上杉丸という船宿もあります。
そして写真の左側、
掘割川左岸は、
1903年に建てられた日本最古の動物検疫所
全国の動物検疫所の本部として
海外から入る動物の感染症・害虫などの
検査を行っています。
かって掘割川の川沿いは
桜の名所だったそうですが
今では、この動物検疫所の敷地内に
多くの桜があり桜が開花する時期は、
根岸線の車中から楽しめます。
仏教の言葉だけれども
写真や絵画を含む
アート全般にも通じる言葉
桜梅桃梨(おうばいとうり)
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桜は桜らしく
梅は梅らしく
桃は桃らしく
梨は梨らしく
花を咲かせ実をつける。
同じように人間も、
それぞれの持ち味を
活かした生き方をしなさい。
人はそれぞれ容姿・性格・能力
健康・財産・趣味・人間関係など
あらゆる面で異なります。
誰一人、他の誰かと
全く同じ条件だという人はいません。
当然、人によって生き方も違ってきます。
自分の持っている条件の下で、
生きるしかないからです。
この世には、どんな生き方が
より優れているということはありません。
それは桜と梅のどちらが優れているかと
議論するようなものです。
華やかな桜の花を、
可憐な梅の花がうらやましがる。
その気持ち、分からないでもありません。
しかし、桜と梅、
それぞれの持ち味があります。
桜を好きな人もいれば、梅を好きな人もいる。
それでいいじゃないですか。
人は、自分に無いものに憧れる傾向があります。
その憧れが人を努力に向かわせ、
成長させることがあることも確かです。
しかし、自分本来の魅力を活かさないのは
実にもったいないことです。
桜のマネをした梅と、本来の梅、
どちらが魅力的でしょう?
マネは所詮マネに過ぎず、
どうしても無理が生じます。
梅は梅であり、桜にはなれないのです。
だから、梅なら、
最高の梅を目指すことです。
他人の華やかな生き方を真似しても、
心からの満足感は得られません。
自分自身を否定している限り、
自分の人生を生きていることには
ならないからです。
人間にとって一番大事なことは、
自分らしく生きること。
それは、自分の持ち味を活かした
生き方をすることです。
もう一度、自分の持ち味を
よく見つめて直してみましょう。