JR根岸線 磯子

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根岸湾の埋め立て前、


根岸湾は、「本牧の石屏からの崎」「磯子の荒磯の崎」「富岡の崎」の


3つの岬からなる湾でした。


 


磯子の崎は岩礁地帯。


この写真の辺りは、昔は海の中、


間坂の海側から森の浅間下までは、


突出した岸壁で砂浜がなく


磯子から森に行くには実際に山側を通るしかありませんでした。



源実朝(1146-1199)が、この辺りのことを


「大海の磯もとどろに寄する波破れて砕けた裂けて散る」と歌っているように


この辺りは、砂浜ではありませんでした。



平子が領主だった頃は、


「平子郷」禅馬村と言われていたこの地、
16世紀になって北条早雲(1431-1519)が、平子をこの地域から追放。


その後は、磯子と言われる地になります。



この磯子とは
「磯」を中心とした地形の自然背景による村を構成した
村落共同体であったから、


磯っ子の愛称が詰まって「磯子」になったそうです。