江ノ電 腰越・小動神社

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高校2年生の時、
当時交際していた女の子との
3回目だったか4回目だったか
とにかく数回のデートを重ねた後に
選んだデートコースが、七里ヶ浜
 
浜辺をブラブラ二人で歩いた後
最後に腰越の小動神社に行こうと決めていました。
 
境内の展望台からの眺めがとても素敵で
しかも誰一人やって来ないデートの穴場。
 
しばらく二人で目の前の江の島を眺めながら
いい雰囲気で過ごします。
 
そろそろかなと思いながらも
きっかけがつかめず間が持たないで
「あそこの岩場で太宰治が、女の人と心中して
女の人の方は、死んじゃったんだよ。」と口走っちゃった。
 
えっ、という顔した彼女に追い打ちをかけるように
「僕らの事、やっかんでるかもね。」なんて言っちゃった。(ほんと、馬鹿)
 
それまでの苦労して作ってきたムードが、一瞬にして壊れ
 
 
 
何もなかった。
 
 
 
1930(昭和5年)11月28日、
太宰治は銀座のカフェー・ホリウッドの女給「田部あつみ」(19歳)と
小動岬でカルモチンによる心中自殺を図ります。
太宰は苦悩中を付近の漁師に発見され生き残り、
あつみは死亡します。

 彼らが会ったのは3日前の11月25日。
 太宰はその前日の11月24日に兄文治から、
分家除籍を条件に青森から出奔させた小山初代との結婚を強いられたのでした。

 その結婚は太宰にとって、不本意なもの。
 田部あつみも夫との間に問題を抱えていました。


 太宰たちが服毒したのは小動神社裏の小動岬の岩場。

 太宰が収容された恵風園療養所(現恵風園胃腸病院)は小動岬のすぐそばにあり、
 この病院は『道化の華』の舞台となりました。