湘南モノレールを見上げながら その4

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西鎌倉駅まで歩いた所でちょっと湘南モノレールから離れ
鎖大師で知られる青蓮寺や鎌倉氏祖の権五郎景政の館跡などを巡ります。
その後、景政館という古館の傍の橋なので古館橋と名の付いた橋から
梶原川に沿って湘南深沢に向かいます。

深沢(梶原)は、頼朝に重用されたインテリで策略家、梶原景時の館が在った所。
この地の史跡、お寺は幾度となく訪ね歩いているのですが、
まだ見たことのない史跡がありました。
それが源太塚(しのぶ塚)。
仏光寺の裏山の上にある円形に石を積み土を盛った直径5mほどの塚です。

1199年1月13日、頼朝が死亡すると
北条時政が源氏政権を乗っ取ろうと動き出します。
まずは、かねてから景時の事を快く思っていなかった御家人66人をたきつけ景時を追い込みます。
その年の11月13日、景時は、ここ梶原の地を離れ寒川町一の宮の館に籠もるのですが、
幕府は、すぐさま景時の所領没収と追討を決めます。

景時は、一族郎党を伴って西へ出発。
1200年1月20日、梶原一行が駿河の興津の清見潟に差し掛かった時、
鎌倉からの急使により待ち構えていた土豪の庵原(いはら)、飯田が襲い掛かって激戦。
結局、景時、景季、景高、景茂ら一行33人は、清水市大内西方の牛ヶ谷に逃げ込んで
全員自害して果ててしまいます。

追っ手は、源太景季の片腕を切り取って鎌倉に持参。
景季の妻、しのぶのもとに送ってきます。
しのぶは、その腕を抱いてこの丘に登りここで自害します。

その後、しのぶの悲しげなしのび泣きする声が夜な夜なこの山から聞こえてくるので、
しのぶの霊を慰める為に里の人が、塚を築きお堂を建てて供養しました。