高島貨物線(東高島駅辺り)

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昨日、横浜ベイクォーターからの機関車撮影を終えるとすぐに東高島駅に向いました。
運が良ければ今しがた撮影したばかりの5692レのEF64に再び会えます。
まずは、超高層マンションが建ち並ぶポートサイド地区を歩きます。
この辺りは、歩道橋にはすべてエレベーターが備えられ、整備された近未来都市です。
そこを抜けると周りの風景は一変し運河が走る昔ながらの横浜の街並みが広がります。
近くに横浜市中央卸売市場本場があるせいか沢山の問屋さんや
昔、この辺りでも盛んだった海苔の養殖の名残「横浜のり」の大きな古い看板を掲げたお店もあります。
撮りたい街の風景が沢山ありました。
昔ながらの路地で遊ぶ二匹の猫。
玄関先の道に出した大きな木製の椅子に坐り時を過ごすおばあさん。
でも、今はゆっくり街探索をしていられません。
5692レが東高島駅を離れるまであと僅か。
横浜市中央卸売市場本場に通ずる宝町踏切りで5692レに追いつきました。
とりあえず1枚シャッターを切ったところで列車は静かに東高島駅を後にしました。
この後、ちょっと史跡を訪ねています。
ここ東高島駅辺りは、神奈川台場があった所です。
神奈川台場というのは、横浜開港直後に設けられた海防砲台場の事。
当時、この辺りは、扇形で海に突き出した埋め立て地でした。
幕府の命によって伊予松山藩が工事にあたり1859年着工、翌1860年に完成させています。
総工費は、7万両と説明板に書いてありましたが、
今のお金にしたらいくらぐらいなんだろう?分かりません。
設計は、幕府の海軍奉行であったあの勝海舟
約8千坪の台場の埋め立てには、現在、幸ヶ谷公園になっている権現山を削って利用したそうです。
台場には、14門の大砲を備え礼砲用として使われた後、1899年廃止されました。
今も石垣が残っていてそれを見てきました。
高島駅の手前を流れる滝の川を棉花橋から眺めていると踏み切りの音が聞こえてきました。
慌ててカメラを起動。
するとちょうどEF200が現れました。
高島駅では、そろそろ帰ろうかなと思っていたところにEF65の49号機が単機でやって来ました。
まだ頑張ってるんだ。なんだか嬉しくなっちゃいました。

1枚目)東高島駅にて出発を待つ5692レ(コキ)
2枚目)滝の川を渡る5577レ (タキ)
3枚目)宝町踏切りの1295レ(単機)
4枚目)東高島駅構内を通過する1295レ(単機)