相鉄本線 私達、家族が暮らした街

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天王町は、私が結婚した時から17年間暮らした街。
(途中、函館や知多に住んでいた期間があったので実際には、11年間かな。)
その街の風景が、相鉄線の古町橋辺りから星川の先の横浜新道辺りまで高架線になる事が決まっていて
一変してしまうという。
私達家族の歴史を作ったこの街の今の風景を残しておかなければと昨日、出かけました。
1枚目)私達家族が暮らした天王町スカイハイツ
クリスマスの頃は、毎年趣向を凝らした美しく大きなイルミネーションが、
5月には、たくさんのこいのぼりが泳ぐことで有名なマンションでした。
真下に幼稚園、正面に帷子小学校があり役所や大型スーパーも近くて住みやすかったな。
2枚目)天王町スカイハイツから天王町駅方面を望む
天王町駅近くの帷子橋辺りから天王町スカイハイツまで続く帷子川沿いの桜並木は、
自動車乗り入れ禁止の公園をかねた道になっていて春には美しい花が咲き乱れます。
3~4枚目)古町橋
1601年、徳川家康により伝馬制度が定められここ古町と権太坂に近い元町の二ヵ所に
保土ヶ谷宿が出来ました。
1648年、将軍家光の時、東海道のルートが現在の天王町駅前通りに変更されるまで宿場でした。
帷子川は、1964年神戸町天王町にかけての流域をショートカットして
相鉄線の南から北側に流れを変えました。
その時、古町橋も線路の南から北側に移っています。
保土ヶ谷宿」を描いた安藤広重が帷子橋の画題を「新町橋」としたのは、
その上手にこの古町橋があってそれに対する通称が新町橋とされていたからです。
古町橋の名は今も残り新町橋の名は、古来からの帷子橋にいつしか変っています。