江ノ電300形 御霊桜

御霊神社の祭神は、
平安時代後期の武将で
鎌倉武士団を率いた鎌倉権五郎景政

鎌倉権五郎景政は、「後三年の役」で
征矢(せや、戦闘用の矢)で右目を射られた時
「弓箭(きゅうせん)にあたって死ぬことは
武人として望むところである」と言っています

その時のいきさつもあり
「景政の功名並ぶものなし」と語られ
武士の理想像とされ
後世の武士も散り際の潔さが求められました。

武士の世が終わり
近代国家になっても
「花は桜木 人は武士」の思想は、
「同期の桜」として
戦時中のプロパガンダに使われます。

こんなにも為政者に
利用された花はないでしょう

それは、
日本人が桜に対するイメージを
共有しているという
土台があるからだと思います。