江ノ電300形 10月の稲瀬川のほとり

10月26日撮影

鎌倉時代
鎌倉の内と外を分けたのは
腰越の地といわれています。

しかし
源頼朝が鎌倉入りした頃は、
ここ長谷駅のそばを流れる
稲瀬川が
鎌倉の内と外を分けていました。

極楽寺切り通しが出来る前
稲瀬川の西側には
霊仙山などの山々が
立ちはだかり
海岸線も満潮になれば
稲村ケ崎で塞がれたので
稲瀬川が流れる
この写真の長谷辺りが
鎌倉の西の境になっていたのです。


稲瀬川(いなのせかわ)は、
長谷観音辺りから
由比ヶ浜に注ぐ
500m程の小さな川。

1180年10月、
北条政子が秋戸郷を出て
初めて鎌倉入りする時にも
占い(くじ引き)で出た
良き日柄に鎌倉に入るために
鎌倉の境界である
この辺りの民家に数日間滞在して
日取りを調整したそうです。

また頼朝が
1184年に弟の源範頼(のりより)が
平家を討つため出発するのを
ここで見送ったり
1185年に父の源義朝(よしとも)の
遺骨を出迎えたのも
鎌倉の西の境であるこの川辺です。